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江戸の博物学者・貝原益軒

今日8月27日は、江戸時代の初期、独学で儒学、国文学、医学、博物学を学び、わが国はじめての博物誌 「大和本草」 などを著わした貝原益軒が、1714年に亡くなった日です。
 
貝原益軒は1630年、筑前国(福岡県)の福岡城のなかで生まれました。父が、藩医として、黒田侯に仕えていたからです。

益軒は、幼いときから、からだはあまりじょうぶではありませんでしたが、才能には、めぐまれていました。少年のころのことに、こんな話が伝わっています。

益軒が、ある日兄の本をだまって借りて読んでいたときのことです。その本をさがしていた兄が益軒をみて、おどろいた顔をしました。『塵劫記』という、たいへんむずかしい数学の本だったからです。益軒にわかるはずはないと思った兄は、本に書かれていることをいくつか質問してみました。すると益軒は、どの問題も、すらすらと解いてしまいました。ところが、このことを知った父は、益軒の才能をよろこぶどころか、世の中で「秀才は、早死にしやすい」といわれていることを考えて、益軒の将来を心配したということです。

益軒は、正式に、先生について学問をしたことはなく、兄の教えや自分の力で、儒学、国文学を学んでいきました。そして18歳のとき、藩主の黒田忠之に仕えました。しかし、数年で、浪人になってしまいました。短気だった忠之の怒りにふれたのだと伝えられています。

およそ7年の浪人生活のあいだに、益軒は、なんども長崎へ行って、医学を学びました。また、そのご、江戸や京都へでてさまざまな学問を身につけ、知識をふやしていきました。

34歳になって筑前へ帰った益軒は、ふたたび、藩にめしかかえられました。父のあとをついで藩医です。しかし、益軒は、医者のしごとよりも、藩の武士や、その子どもたちへの教育に力をつくしました。また、時間を惜しんで筆をにぎり、生涯のうちに、98部247巻もの本を書き著わしました。

そのおおくの本のなかで、もっとも知られているのが『益軒十訓』です。益軒は『君子訓』『家道訓』『養生訓』など10冊の書をとおして、人間の正しい生き方、あたたかい家庭のつくり方、健康な生活のおくり方などを、やさしく説きました。

また、野山を歩き、草、木、鉱物などを調べて博物学書『大和本草』を著わし、旅をかさねて、旅行記や名所案内書も出版しました。北九州をめぐって筑前の風土記も書いています。

益軒は、70歳をすぎても、80歳をこえても、勉強をすることも本を書き進めることもやめませんでした。世の中のことを知れば知るほど、もっと深いこと、もっと広いことが知りたくなったからです。『養生訓』などは、いまも読みつがれています。

なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)36巻「新井白石・徳川吉宗・平賀源内」の後半に収録されている7名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。

投稿日:2007年08月27日(月) 10:06

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)