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幕末の開国論者・佐久間象山

今日7月11日は、幕末の志士として有名な吉田松蔭、坂本龍馬、勝海舟らを指導した開国論者の佐久間象山が、1864年に、攘夷派の武士たちに襲われて亡くなった日です。

幕末のころの日本は、朝廷を尊び外国をうちはらおうという尊皇攘夷派と、幕府をたすけて外国のために港をひらこうという佐幕開国派とが対立して、はげしくいがみあっていました。佐久間象山は、佐幕開国論者を代表する思想家、兵学者です。

象山は、信濃(長野県)松代藩の身分の低い武士の子として、1822年に生まれました。幼いときからかしこく、行動がすばやいことで知られ、22歳ごろまでに、城下町ではもう何も学ぶものがないほど学問にはげみました。

22歳で江戸(東京)に出た象山は、漢学者佐藤一斎に弟子入りし、朱子学を勉強しました。そしてそのかたわら、新進蘭学者として新しい考え方をもつ渡辺崋山、杉田玄白たちとまじわり、オランダ語の勉強をはじめました。

原書を自由に読めるようになると、象山は、その知識を実際に応用しなければ気がすみませんでした。松代に帰って、養豚、ブドウ酒の製造、西洋医学による病人の治療、鉱山を開き、ガラス工場をたてるなど、藩の近代化につとめました。

31歳のとき、藩主が幕府の老中となり、海防掛を命じられると、象山は顧問にとりたてられました。象山はさっそく砲術の大家である江川太郎左衛門の門人になって、西洋砲術を研究しました。

象山が国防についてさらに関心を深めたのは、朱子学によると完全なはずの清国が、アヘン戦争でイギリスに負けるというまったく思いがけないニュースを耳にしたときからです。それ以来「東洋道徳、西洋芸術」つまり、日本の進むべき道は、西洋の進んだ技術や科学は取りいれて、精神は東洋の儒学であるべきだと説くようになったのです。

1850年、象山は、江戸に出ると、深川の松代藩邸で塾を開き、兵学の講義をしました。名声を聞いて集まった弟子は、吉田松蔭、橋本佐内、坂本龍馬、勝海舟ら500人にものぼりました。

ところが1854年、ペリーの船で密航をくわだてた弟子の松蔭が幕府にとらえられると、まもなく象山も松蔭をそそのかした罪でつかまってしまいました。そして、郷里の松代藩にとじこめられてしまったのです。

罪をゆるされたのは、それから8年後のことでした。しばらくして京都に出た象山は、朝廷と幕府は力をあわせなければならないことや、今は攘夷のときではないことを公家や諸大名に熱心にといてまわりました。しかし、1864年7月、攘夷派の人たちにおそわれ、波らんにとんだ生涯を閉じました。

なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)30巻「渡辺崋山・勝海舟・西郷隆盛」の後半に収録されている7名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。

投稿日:2007年07月11日(水) 09:15

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)