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すぐれた海防学者 「林 子平」

今日6月21日は、江戸幕府の鎖国政策に対し、海外のようすを少しも知らない国民たちに、警告を発した先駆者・林子平が、1793年、仙台のちっ居先で亡くなった日です。

「海国日本を守るためには、海軍の力を強くしなければだめだ」

林子平は、日本が鎖国で外国とのまじわりを閉じている時代に、勇気をだして、海の守りのたいせつさをとなえた人です。そのころ、世界の大きな国ぐには、発達した科学の力ですぐれた船や大砲を造って、中国や東南アジアの国へのりだし始めていました。また、ロシアも、シベリアを東へ進んで千島や蝦夷地 (北海道) へ手をのばそうとしていました。江戸で生まれ、外国の情勢を耳にしながら成長した子平は、30歳をすぎるとまもなく行動をおこしました。日本が危機にさらされようとしているときに、机に向かって学問をしているだけではいけない、と考えるようになったからです。子平は、1772年に蝦夷地へ渡って、この大きな島のようすを調べました。また、1775年から1782年にかけて、鎖国のもとでたったひとつだけ港を開いていた長崎へ何度も出かけて行き、オランダ人に外国の事情を聞きながら、海防問題を学びました。

「早く、幕府の役人たちの目をさまさせなければ、きっと、たいへんなことになる」

このように信じた子平は、47歳から53歳までのあいだに2つの本を著わして、海防の必要を役人たちに訴えました。朝鮮、琉球(沖縄)、蝦夷などの地図を示し、さらに蝦夷地がロシアにねらわれていることを注意した『三国通商図説』と、大きな船を建造し、大砲をそなえて、外国の侵略から日本を守らなければならないことを説いた『海国兵談』です。とくに、全部で16巻という『海国兵談』では、海軍の充実を叫ぶだけではなく、「江戸日本橋を流れる水は、中国やオランダまで境なくつづいているのだ」と訴えて、鎖国の世に眠りこけている幕府を、きびしくひはんしました。ところが『海国兵談』を出版した、その年の暮、子平は幕府に処罰され、本を印刷した板木をとりあげられたうえに、仙台の兄の家から外にでてはならぬ、と命じられてしまいました。外国が日本をおそってくるなどと言って、日本をさわがせた罰だというのです。

「親もなし 妻なし 子なし 板木なし  金もなけれど 死にたくもなし」。子平はこんな歌をよんで、やがて、55歳でさみしく亡くなりました。死のまえの年に、ほんとうにロシアの使節が根室に現われ、『海国兵談』はしだいにみとめられるようになりましだが、罪がゆるされて初めて子平の墓が建てられたのは、死後50年もたってからのことでした。

なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)32巻「小林一茶・間宮林蔵・二宮尊徳」の後半に収録されている7名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」も公開する予定です。ご期待ください。

投稿日:2007年06月21日(木) 09:36

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)