今日、6月28日は、第1次世界大戦のきっかけとなったオーストリア皇太子暗殺事件のおきた日(1914年)であり、世界大戦の終結としてベルサイユ講和条約が結ばれた日(1919年)でもあります。
当時、ヨーロッパではドイツを中心とした新興勢力と、イギリスを中心とした勢力とがたがいにいがみあっていました。ドイツの工業力はイギリスをしのぐまでに伸びたのに、その売り先としてイギリスのような広大な植民地がありません。なんとかしてイギリスの植民地を手に入れたいと軍備をそなえてきました。そういう動きを察知したイギリスは、ロシアやフランスと同盟をはかり、ドイツに負けずに軍備をおこたりませんでした。
そのような時、ドイツと同盟をむすんでいたオーストリアの皇太子夫妻が、バルカン半島にあるオーストリアの領土となったばかりのボスニアでセルビア人に暗殺されるという事件がおきました。この事件の1ヵ月後、オーストリアはロシアの支援を受けているセルビアに宣戦を布告、すぐにロシアはオーストリアに、ドイツはロシアに戦いをいどみました。ドイツはさらに、ロシアと同盟をむすんでいるフランスが参戦する出鼻をくじこうと、中立国だったベルギーに侵入しました。しかし、これは国際法を踏みにじる行為だったため、イギリスもドイツに宣戦を布告しました。
こうしてドイツ、オーストリアの同盟軍、ロシア、フランス、イギリスの連合国軍の2派に別れ、世界の国々をそれぞれの味方にした第1次世界大戦が始まりました。イギリスと同盟を結んでいた日本も連合国側について戦いました。
戦局は一進一退、連合国側のロシアに革命がおきたこともあり、同盟国側がやや有利な展開でした。しかし、1917年にアメリカが連合国側に参戦したのがきっかけとなって、翌年、5年にわたる壮絶な戦いは連合国側の勝利に終わりました。
しかし、ベルサイユ講和条約で連合国側のドイツにつきつけた賠償は、ドイツを完膚なきまでにやっつけるほどの厳しいものでした。それが、第2次世界大戦をひきおこす火種となってしまったことを忘れてはなりません。