« 2018年04月23日 | 児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top2018年04月25日 »

最新記事【2018年04月24日】


● 今日(4月24日)の主なできごと

1951年 桜木町事故……京浜東北線の電車が、桜木町駅到着寸前に切れた架線にふれて1・2両目が炎上、木製屋根と旧式の3段開き窓のため乗客は逃げ切れず、死者106名、重傷者92名を出す大事故となった。この事故から、電車の鋼鉄化が急速に促進された。

1955年 アジア・アフリカ会議……インドのネルー首相、インドネシアのスカルノ大統領、中国の周恩来首相、エジプトのナセル大統領が中心となって、インドネシアのバンドンで「アジア・アフリカ会議」が開催され、この日反植民地主義・民族主義・平和共存など世界平和と協力の推進に関する宣言・平和十原則を採択、アメリカ(西側諸国)、ソビエト(東側諸国)のどちらの陣営にも属さない、いわゆる第三世界の存在を確立した。


● 今日の主な記念日・恒例日

植物学の日……1862年のこの日、植物分類学者の牧野富太郎が高知県に生まれた。牧野は94歳でこの世を去るまで生涯を植物研究に費やし、新種・変種約2500種を発見・命名して「植物学の父」と呼ばれた。その功績を讃えた記念日。

日本ダービー記念日……1932年のこの日、目黒競馬場で日本初の「ダービー」(東京優駿競争)が開催された。サラブレット3歳馬ナンバーワンを決めるイギリス競馬界最高の行事「ダービーステイクス」をまねての企画だったが、今だにその人気は衰えていない。


● 今日生まれた人

1743年 カートライト……イギリスの発明家・技術者。蒸気機関を利用した自動織機「力織機」を発明。イギリス産業革命に大きな貢献。

1862年 牧野富太郎……明治・大正・昭和期の植物学者。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作に遺す。

1909年 松本清……昭和期の地方政治家・実業家。「マツモトキヨシ」創業。松戸市長の時に「すぐやる課」創設。

1909年 青地晨……昭和期の評論家・ジャーナリスト。代表著作『冤罪の恐怖』『魔の時間 六つの冤罪事件』など。

1948年 つかこうへい……昭和・平成期の劇作家・演出家・小説家。代表作『蒲田行進曲』『二代目はクリスチャン』『幕末純情伝』など。


● 今日亡くなった人

1583年 柴田勝家……戦国から安土桃山時代の武将。「賤ヶ岳の戦い」に敗れ福井北庄城で、妻お市の方(信長の妹・浅井長政の元妻)とともに自害。

1734年 紀伊国屋文左衞門……江戸時代前・中期の豪商。

1891年 モルトケ(大モルトケ)……プロシア・ドイツの軍人。対デンマーク戦争・普墺戦争・普仏戦争を勝利に導き、ドイツ統一に貢献。「近代ドイツ陸軍の父」

1908年 津田仙……明治期の農学者。日本初の通信販売。新島襄・中村正直と共に「キリスト教界の三傑」。津田梅子の父。

1942年 モンゴメリ……カナダの小説家。代表作『赤毛のアン』シリーズ。


● 過去のマイブログ「4月24日」のテーマ

2014年  「西洋農法」 を推進した津田仙
「学農社」をおこし、西洋農法の普及につとめた津田仙(つだ せん)が、1908年に亡くなった日です。1837年、下総国佐倉藩(今の千葉県佐倉市)の家臣小島家の子として佐倉城内に生まれた仙は、佐倉藩の藩校に学び、1851年に元服して桜井家の養子となり、藩命により江戸に出て、蘭学や英語、洋学や砲術を学びました。1861年に津田大太郎の娘初子の婿となると、江戸幕府外国奉行の通訳として採用され……。

2013年  [おもしろ民話集 82] 山賊の弟
むかし、越後(今の新潟県)の農家に、太郎と次郎という名の二人の男の子がありました。兄の太郎は、幼いときから乱暴な上になまけ者でしたが、大きくなっても悪い性質が直りません。そのため父親に勘当(かんどう=親子の縁を切る)されると、ひょいとどこかへいなくなってしまいました。そのうち、父親は病気で亡くなり、弟の次郎は母に孝行な働きものでしたが、不作つづきで家の暮らしがたちゆかなくなって……。

2012年 「賤ヶ岳の戦い」 と柴田勝家
戦国から安土桃山時代にかけての武将で、信長の後継争いで秀吉に敗れた柴田勝家(しばた かついえ)が、1583年に亡くなった日です。柴田勝家の子ども時代のことは、生年も出身地もほとんどわかっていません。若いころから尾張の織田家の家臣で、織田信長の父信秀に仕え、信秀の死後に家督をついだ信長の命により、信長の弟信勝の家老として仕えました。しかし1557年ころ、信勝が信長を倒そうとする謀反を計画したとき……。

2009年  江戸の豪商・紀伊国屋文左衛門
江戸時代・元禄期の大商人で、紀伊国屋文左衛門(きのくにや ぶんざえもん)が、1718年に亡くなったといわれている日です。17世紀から18世紀にかけて、産業がさかんになるにつれて、商業が大きく発展し、大商人といわれる人たちが各地に現われました。紀伊国屋文左衛門も、そのころに活躍した豪商のひとりです。文左衛門がいつどこで生まれ、どのように育ち、いつ江戸に出てきたのかほとんどわかっていません。しかし、文左衛門の隆盛のきっかけとなった……。

2007年  ワールド図書館(20) 「アフリカ(1)」 巻末解説
アフリカ(主として北西部)は、新興国家がひしめきあい、大いなる未来への希望にみちあふれている大陸です。しかし、独立後20年たらずの国ぐにの現実をみると、あまりにも多くの難問をかかえています。その難問のなかで、各国に共通しているもっとも顕著なものは、産業のおくれです。アフリカは、地下資源の宝庫だといわれています。たしかに、石油、天然ガス、ダイヤモンド、金、白金、ボーキサイト、銅、リン鉱石などの埋蔵量は、世界一あるいは世界有数……。

2006年  からだのほん
お母さん方は、子どもに本を読ませたいと思うとき、まず第一に、童話を中心にした物語の本を考えます。それは、1冊の本から、子どもができるだけ大きな感銘を受けることを期待し、その感銘は、文学作品から受けるものが、もっとも大きいと思っているからでしょう。ところが、じっさいは必ずしもそうではありません。子どもは、伝記や科学物語はもちろんのこと、絵を中心にした図鑑類からも、すばらしい発見の感銘、おどろきの感銘を受けています……。
投稿日:2018年04月24日(火) 05:04

2018年04月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)