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2018年版 2月7日はこんな日


● 今日(2月7日)の主なできごと

1184年 一ノ谷の合戦……この日、一の谷(兵庫県神戸市)に陣を構えていた平氏軍を源氏軍が破った。とくに源義経らが行った平氏の背後の絶壁を駆け降りる「鵯越(ひよどりごえ)の奇襲」の成功は有名。これにより、平忠度、平敦盛らが戦死し、主力を失った平氏は屋島に敗走した。

1998年 冬季オリンピック・長野大会開幕……第18回冬季オリンピック・長野大会の開会式が南長野運動公園で行われ、7競技68種目が競われる16日間が始まった。日本人も大活躍で、スキー・ジャンプ団体を含む5種目で金1・銀1・銅4のメダルを獲得して、過去最高の記録となった。


● 今日の主な記念日・恒例日

北方領土の日……北方領土は択捉(えとろふ)島・国後(くなしり)島・色丹(しこたん)島・歯舞(はぼまい)諸島からなり、面積は4996平方kmで沖縄の2倍強もある。しかし、ロシアが実効支配しているため、日本政府は1981年に、1855年のこの日「日露和親条約」が締結され、北方領土が日本の領土として認められたのにちなみ、「北方領土の日」という記念日に制定。なお、1951年の「サンフランシスコ平和条約」で、日本が戦争によって奪った土地の権利・権限等は放棄することとなり、千島列島もその中に含まれた。しかし、北方領土は戦争によって獲得した土地ではなく、権限を放棄する千島列島には含まれないが、ロシアは千島列島の一部であるとして北方領土を占領し、その状態がいまだに続いている。


● 今日生まれた人

1478年 トマス・モア……イギリスの思想家・大法官。代表著作『ユートピア』で、政治・社会を風刺。

1812年 ディケンズ……イギリスの作家。代表作『オリバー・ツイスト』『クリスマスキャロル』『二都物語』など。

1837年 三条実美……幕末から明治期の尊攘派公卿。明治政府の最高首脳人物の一人。

1834年 メンデレーエフ……ロシアの化学者。「元素の周期律表」作成。

1906年 溥儀(宣統帝)……清朝最後の皇帝・満州国皇帝。


● 今日亡くなった人

1885年 岩崎弥太郎……幕末から明治期の実業家。「三菱財閥」の基礎をつくる。


● 過去のマイブログ「2月6日」のテーマ

2014年 「青葉の笛」 の平敦盛
平清盛の弟平経盛の子で、源平合戦(一ノ谷の戦い)に敗れた若武者・平敦盛(たいらの あつもり)が、1184年に亡くなった日です。1169年、平清盛の異母弟・平経盛の子として生まれた平敦盛は、元服して従五位下という位をさずかるものの官職がなかったために「無冠大夫」とよばれました。美少年として有名で、祖父平忠盛が鳥羽院より賜ったという「名笛・小枝(または青葉)」を譲り受けた笛の名手でもありました……。

2013年  [おもしろ民話集 72] おじいさんと孫
むかし、あるところに、もうすっかり年をとったおじいさんがいました。目はかすみ、耳は遠くなってよく聞こえません。手や足は、いつもこぎざみにふるえましたから、食事のときのスプーンさえも、ちゃんと持つこともきませんでした。スープを飲もうとしても、手がふるえるために、タラタラとテーブルにこぼしてしまいます……。

2012年 ラストエンペラー・溥儀
清朝第12代・最後の皇帝で、のちに満州国皇帝となった溥儀(ふぎ)が、1906年に生まれた日です。清朝の第11代皇帝だった光緒帝の弟・醇親王の子として生まれた溥儀は、1908年にわずか3歳で第12代皇帝に即位しました。年号は宣統と改められ、父は溥儀(宣統帝)の摂政となりました。1911年に、孫文 らの指導する「辛亥革命」がおきると、1912年2月に退位を宣言し……。

2008年 三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎
明治の初期に海運業をおこし、船の運送にともない海上保険、造船、鉱山、製鉄、銀行、製紙など、さまざまな産業に進出し、三井財閥と並んで近代日本の産業界に勢力をほこった三菱財閥の基礎をつくった実業家の岩崎弥太郎(いわさき やたろう)が、1885年に51歳で亡くなった日です。1834年、土佐国(高知県)に生まれた弥太郎は、下級武士の父と教育熱心な母に育てられました。負けずぎらいなうえに、わんぱくながき大将でしたが……。

2007年 見栄をはるウソをつかせないために
子どもは、子どもどうしのあいだで、よく、うそをつきます。たとえば、友だちが 「わたしピアノ買ってもらったのよ」 と言えば 「わたしも、もうすぐ買ってもらうのよ」 と、ほんとうはそんな予定はないのに、つい言ってしまいます。友だちが 「このまえ行った、わたしのおじいさんのお家、お庭が広くて大きな池もあるのよ」 と言えば、「わたしの、おじいさんのところは、部屋が七つも八つもあって……。

2006年 幸福の王子他 2
でも、とうとうツバメは、自分が最後に残ったツバメだとわかると、そのアシに別れを告げ、飛びたっていきました。その夜、ツバメは町にやってきました、そして、疲れていたので、止まって休むことにしました……どこで休んだと思います? なんと、高い柱のてっぺんの、ちょうど幸福の王子の足の間だったのです! 小さなツバメがちょうど眠ろうとしていたとき、しずくが1つ頭に落ちてきました……。
投稿日:2018年02月07日(水) 05:24

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)