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2018年版 2月2日はこんな日


● 今日(2月2日)の主なできごと

962年 神聖ローマ帝国成立……ドイツ王オットー1世は、教皇ヨハネス12世より帝冠を受け、神聖ローマ帝国が成立した。現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を含む帝国は、ナポレオンによってその名称が消されるまで、844年も存続した。ただし大小の国家連合体であった期間が長く、この中から後のハプスブルク家が支配するオーストリア帝国、プロイセン王国などドイツ諸国家が成長していった。

1848年 アメリカ・メキシコ戦争終結……1846年にテキサスの国境線をめぐる紛糾で始まった米墨両国の戦争は、この日アメリカが勝利して終結。その結果、ニューメキシコがアメリカの領土となった。

1954年 国際線再開……太平洋戦争後、日本国籍の飛行機の飛行はすべて禁止されていたが、9年ぶりに国際線業務が再開された。再開第1号は「日本航空」機で、羽田からサンフランシスコまでの飛行。

1972年 元日本兵の横井庄一帰国……太平洋戦争中に歩兵としてグアム島に派遣されていた横井が、26年ぶりに帰国。終戦を知らされないまま、現地のジャングルや地下壕などで生活を続けていたもので、帰国の第一声は「恥ずかしながら帰ってまいりました」だった。


● 今日の主な記念日・恒例日

情報セキュリティの日……2006年のこの日、情報セキュリティ政策会議で「第1次情報セキュリティ基本計画」が定められたことから、政府の情報セキュリティ政策会議が制定。

夫婦の日……2(ふう)2(ふ)のごろあわせから制定されたもので、夫婦が互いに感謝をする日。

その他の記念日……頭痛の日・おじいさんの日・バスガールの日・おんぶの日など。
 

● 今日生まれた人

1875年 クライスラー……オーストリアの作曲家。代表作『愛の喜び』『愛の悲しみ』『美しきロスマリン』『ウィーン奇想曲』など。

1882年 ジョイス……アイルランドの小説家。代表作『ユリシーズ』『若き芸術家の肖像』など。

1887年 嶋中雄作……大正・昭和期の出版人。「中央公論」社長として隆盛に導く。

1896年 鹿島守之助……昭和期の実業家・政治家。鹿島建設「中興の祖」。


● 今日亡くなった人

749年 行基……奈良時代前期に活躍した僧侶。東大寺建立時には僧の最高位「大僧正」。

1074年 藤原頼道……平安時代中期の公卿。藤原道長の長子で、宇治「平等院鳳凰堂」を建立。

1907年 メンデレーエフ……ロシアの化学者。「元素の周期律表」を作成。

1970年 ラッセル……イギリスの哲学・数学者・思想家。原水爆禁止や平和運動に力をつくす。


● 過去のマイブログ「2月2日」のテーマ

2012年 「平等院」 と藤原頼道
京都の宇治にある「平等院鳳凰堂」を建てた藤原頼道(ふじわら よりみち)が、1074年に亡くなった日です。992年、藤原氏の勢いを最も盛んにした太政大臣藤原道長の長男として生まれた藤原頼道は、父の力のおかげで、20歳前後に権中納言から権大納言へ、さらに25歳のときには内大臣へと、おどろくほどの早さで出世しました……。

2011年  奈良の大仏と行基
奈良時代に、日本で初めて朝廷から大僧正という高い位をさずけられた行基(ぎょうき)が、749年に亡くなった日です。渡来人の子孫として、668年に河内国(いまの大阪府)で生まれた行基は、15歳で、奈良の薬師寺に入って僧になりました……。

2010年  元素周期律表のメンデレーエフ
ロシアの化学者で、物質を形づくっている元素の研究をつづけ「元素の周期律表」を作成したメンデレーエフが、1907年に亡くなった日です。ドミトリー・イワノビッチ・メンデレーエフは、1834年にシベリアのトボリスクで生まれました。14人兄弟の末っ子……。

2009年  核兵器反対運動の指導者・ラッセル
イギリスの哲学者・論理学者・数学者で、原水爆禁止や平和運動に力をつくしたラッセルが、1970年97歳で亡くなった日です。「おおくの人びとの悪いおこないに、そのまま従ってはいけません。自分が正しいと信じることを、やりとおしなさい」12歳のバートランド・ラッセルの心に、祖母のこの言葉は深くやきつきました……。

2007年  不平不満をいわない子に
いまの世の中は、物はたくさんあっても、なんとなく、いつもいらいらさせられる時代です。空に浮かぶ雲をポカンと見つめるような、虫の声がすだく草むらにたたずんでみるような、雨の音にじっと耳をかたむけてみるような、そんな心のゆとりがなくなってしまっているからでしょう……。

2006年  オリバーツイスト
「クリスマスキャロル」と同じ作家チャールズ・ディッケンズ(1812−1870)の「オリバーツイスト」。貧民院で育てられたみなし子で9歳のオリバーは、7日間も飲まず食わずロンドンへむかう途中、ドジャーという少年にあう。スリや泥棒の親方のファギンの手下だった。オリバーはドジャーたちがスリをしても遊びをやっているものと思っていた……。
投稿日:2018年02月02日(金) 05:51

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)