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2018年版 1月23日はこんな日


● 今日(1月23日)の主なできごと

1866年 寺田屋騒動……2日前に薩長同盟を締結させた坂本龍馬は、宿泊先の京都・寺田屋で、伏見町奉行所の捕り方に襲撃された。同宿の養女・お龍(のちの妻)は風呂から裸のまま2階へかけ上がり危機を知らせた。龍馬は銃で応戦、左手の親指を負傷しながらも脱出に成功した。


● 今日の主な記念日・恒例日

電子メールの日……「1(いい)23(ふみ)」(いい文・E文)の語呂合せから、電子メッセージング協議会(今のEジャパン協議会)が1994年に制定。

八甲田山の日……1902年のこの日、八甲田山へ雪中行軍に出かけた兵士210名が、猛吹雪の中で道を失い寒さと飢えと疲労のために遭難。25日になって199名の死亡が確認された。

真白き富士の嶺の日……1910年のこの日、神奈川県の逗子開成中学の生徒12人が学校のボートで乗り出し、七里ヶ浜で遭難して全員が死亡した。この悲報に接した鎌倉女学校の三角錫子教諭が「七里ヶ浜の哀歌」を作詞し、この歌は全国で愛唱された。

ワンツースリーの日……「123」で「ワンツースリー」とよむ語呂合せから、人生に対してジャンプする気持ちを持とうという記念日。


● 今日生まれた人

1783年 スタンダール……フランスの小説家。代表作『赤と黒』『恋愛論』『パルムの僧院』など。

1832年 マネ……フランスの画家。代表作『草上の昼食』『オランピア』『笛を吹く少年』『フォリー・ベルジェール』など。

1851年 金玉均……李氏朝鮮後期の政治家・独立党指導者。「三和主義」提唱。

1862年 ヒルベルト……ドイツの数学者・論理学者。代数幾何の基礎づけ問題「ヒルベルトの23の問題」発表。「現代数学の父」

1907年 湯川秀樹……昭和期の理論物理学者。中間子の存在を予言し、日本人初のノーベル賞受賞。


● 今日亡くなった人

1657年 林羅山……江戸時代前期の儒学者。

1883年 ドレ……フランスの版画家・挿絵画家。、ダンテ『神曲』・ペロー『童話集』挿絵など。

1890年 新島襄……明治期の教育者・キリスト教指導者。「同志社英学校(後の同志社大)」設立。

1933年 堺利彦……明治・大正・昭和期の社会主義運動家・小説家・評論家。

1944年 ムンク……ノルウェーの画家。代表作『叫び』『思春期』『マドンナ』『不安』など。

1981年 谷内六郎……昭和期の挿絵画家。『週刊新潮』創刊から表紙絵担当。

1989年 ダリ……スペインの画家。『ゆでた隠元豆のある柔らかい構造』など、シュールレアリスム代表画家。


● 過去のマイブログ「1月23日」のテーマ

2014年 「超現実主義」 のダリ
『記憶の固執』『ゆでた隠元豆のある柔らかい構造』『燃えるキリン』などを描き、シュールレアリスムを代表するスペインの画家ダリが、1989年に亡くなった日です。1904年、スペインのバルセロナに近いフィゲラスの裕福な公証人の子として生まれたサルバドール・ダリは、少年時代から絵画に興味を持つものの、厳格な父に反発して勉学を拒否……。

2013年 『叫び』 のムンク
『叫び』『思春期』『マドンナ』などの作者として、国際的に著名なノルウェーの国民的画家ムンクが、1944年に亡くなった日です。1863年、ノルウェー南部のローテンに医者の子として生まれたエドバルド・ムンクは、翌年には当時クリスチャニアとよばれていたオスロへ移住して育ちました。しかし、父が神経症だったうえに、幼少のころに母と姉を肺結核で亡くし……。

2012年 「儒学」 を幕府の官学とした林羅山
江戸時代初期に家康・秀忠・家光・家綱の将軍4代に仕えて、江戸幕府の土台作りに大きな貢献をした儒学者の林羅山(はやし らざん)が、1657年に亡くなった日です。1583年、京都に生まれた林羅山(本名・信勝 羅山は号)は、幼少の頃から読書好きな賢明な子で、13歳のときに京都・建仁寺に入り、仏教を学びながら寺が所蔵する大量の書物に親しみました。僧籍に入ることを……。

2009年 建武新政を行なった後醍醐天皇
鎌倉幕府を倒すために失敗を重ねながらも、新田義貞、足利尊氏らの協力で成功、しかし尊氏の反乱にあうなど、波乱の生涯をおくった後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が、1337年、京都を脱出し吉野・金峰山へ入山した日で、南北朝対立の始まりとされています。後醍醐天皇は、1318年に、30歳で即位しました。このとき鎌倉幕府の実権をにぎっていたのは、執権職の北条高時……。

2008年 同志社大学をたてた人・新島襄
明治の初期、教育者・宗教家として活躍した新島襄(にいじま じょう)が、1890年に47歳で亡くなった日です。新島襄は、文明開化のためにはキリスト教精神を広めることが大切であると、同志社を設立して、徳富蘇峰、安部磯雄らたくさんの人材を育てた教育者として知られています。襄は1843年、上野国(群馬県)安中藩の江戸屋敷で、武士の子として生まれ……。

2007年 放任主義はほったらかしではない
「放任主義」という言葉があります。一般的には、親が育児や子どもの教育に熱心でないことに、また、子どもにまったく手出し口出ししないことに使われます。でも、こんな解釈は、まちがいです。手出し口出ししない、まるで野放し状態には、主義などというものはありません。たんなるほったらかしです。ほんとうの放任主義というのは……。

2006年 宝島
イギリスの作家ロバート・ルイス・スチィーブンソン(1850−1894)が1883年に発表した「宝島」は、手に汗握る波乱万丈の長編小説です。ジム・ホーキンス少年は、ある時ふとしたことから、海賊フリントの財宝を隠した島の地図を手に入れた。知り合いの医者リブゼイと弁護士トレローニに見せると、トレローニは船を準備し、スモレット船長と集めた20人ほどの船乗りたちといっしょに、ブリストルからヒスパニオラ号に乗って、宝探しにでかける……。
投稿日:2018年01月23日(火) 05:37

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)