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『堕落論』 の坂口安吾

今日2月17日は、『風博士』『白痴』『桜の森の満開の下』などの小説、『堕落論』などの評論をはじめ、歴史小説、説話文学、地誌など多分野の作品を残し、太宰治、織田作之助らとともに「無頼(ぶらい)派」といわれた坂口安吾(さかぐち あんご)が、1955年に亡くなった日です。

1906年、新潟市の旧家で衆議院議員の子(13人兄弟の12番目)として生まれた坂口安吾(本名・炳五)は、少年時代から自由奔放な性格で、近所の子どもたちを引き連れては町中や砂丘で遊びまわり、旧制新潟中学へ入っても授業にほとんど出席しなかったため、東京の私立豊山中学3年に転校させられ、卒業後は、小学校の代用教員をしながら、仏教の研究を決意して、21歳で東洋大学印度哲学倫理学科に入学しました。仏教書、哲学書を読みあさるいっぽうサンスクリット語、チベット語の学習とともに、アテネフランセに通って、フランス語を学びフランス文学に傾倒しました。

1930年に東洋大を卒業すると、翌1931年同人誌に発表した短編小説『風博士』が牧野信一に激賛され、『黒谷村』も島崎藤村、宇野浩二らに高く評価されて、いちやく新進作家として注目されるようになりました。牧野の主宰する「文科」に『竹藪の家』を連載したり、1938年には自身の半生を総決算する長編『吹雪物語』、1939年に説話小説『紫大納言』、1942年に評論『日本文化私観』『青春論』などの佳作を発表しました。

安吾が人気作家として、いちやく表舞台に躍り出たのは戦後のことで、1946年4月に評論『堕落論』(従来の政治観・道徳観・伝統美を批判し、人間が人間らしく生きるには堕落の道を進み、その中から真実を見つけ出せという主旨)、6月に短編集『白痴』を発表すると、その思い切った発想に、敗戦に打ちのめされていた人々に大きな衝撃を与えて、織田作之助、太宰治、石川淳らとともに、「無頼(ぶらい)派」と呼ばれて、時代の寵児となりました。そして、『デカダンス文学論』『外套と青空』『桜の森の満開の下』などの評論や小説を次々に発表するいっぽう、『道鏡』などの歴史小説、自伝的な『暗い青春』、推理小説『不連続殺人事件』ほか、多彩な分野の作品を立て続けに発表していきました。

ところが、友人の太宰が自殺した1948年6月ころから、うつ病的精神状態に陥り、これを克服するためにアドルムやヒロポンなどを大量に服用したため、幻聴、幻視が生じるようになり、1949年初頭には狂乱状態となって入退院をくりかえし、晩年は、あまり書くことができなくなって、『中央公論』に連載していた『安吾新日本地理』の取材中に脳出血に倒れてしまいました。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、『堕落論』をはじめ、安吾の代表作を含む440編を読むことができます。


「2月17日にあった主なできごと」

1856年 ハイネ死去…『歌の本』などの抒情詩をはじめ、多くの旅行体験をもとにした紀行、批評精神に裏づけされた風刺詩や時事詩を発表したドイツの文学者ハイネが亡くなりました。

1872年 島崎藤村誕生…処女詩集『若菜集』や『落梅集』で近代詩に新しい道を開き、のちに『破戒』や『夜明け前』などを著した作家の島崎藤村が生まれました。

1925年 ツタンカーメン発掘…イギリスの考古学者カーターはこの日、3000年も昔の古代エジプトのファラオ・ツタンカーメンの、235kgもの黄金の棺に眠るミイラを発見しました。

1946年 金融緊急措置令…第2次世界大戦後の急激なインフレを抑えるため、金融緊急措置令を施行。これにより、銀行預金は封鎖され、従来の紙幣(旧円)は強制的に銀行へ預金させる一方、旧円の市場流通を停止、新紙幣(新円)との交換を月に世帯主300円、家族一人月100円以内に制限させるなどの金融制限策を実施しました。しかし、この効果は一時的で、1950年ころの物価は戦前の200倍にも達したといわれています。
投稿日:2014年02月17日(月) 05:38

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)