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「家康の愛孫」 千姫

今日2月6日は、徳川2代将軍となる秀忠の長女に生まれながら、豊臣秀頼と結婚させられるなど、時代の流れに翻ろうされた千姫(せんひめ)が、1666年に亡くなった日です。

1597年、徳川家康の子秀忠(のちの第2代将軍)と江(ごう=浅井長政と織田信長の妹お市との子・3人姉妹の3女)の長女として伏見城内の徳川屋敷に生まれた千姫は、1603年にわずか7歳で11歳の豊臣秀頼(豊臣秀吉と江の長姉淀君との子)と結婚し、大坂城に入りました。いわば祖父である家康が、千姫を人質として豊臣家に送りこんだ政略結婚でした。

それから12年目の1615年、「大坂夏の陣」で大坂城は落城して豊臣家は滅びますが、千姫の身を案じた家康は「千姫を助け出した者に、姫を嫁がせる」というふれを出しました。このとき落城する大坂城から全身やけどを負いながらも千姫を背負って救出し、家康の本陣に連れ帰ったのは、猛将として知られる坂崎出羽守直盛でした。ところが、千姫は、無教養な出羽守をきらって妻になることを承知せず、翌1616年、桑名藩主本多忠政の長男・本多忠刻と結婚することになりました。これをうらんだ出羽守が、この輿入れの行列を襲って千姫を強奪する計画を立てていることが発覚、直盛は自害したといわれています(千姫事件)。

1617年、本多家は播磨姫路に移しかえになり、桑名から姫路城に移った千姫は、「播磨姫君」と呼ばれ、長女勝姫、長男幸千代を生みますが、1621年に長男、夫、姑、母が次々と亡くなるという不幸が続き、本多家を出ることになりました。

江戸城に入った千姫は、出家して「天樹院」と称すると、竹橋の邸(吉田御殿)で勝姫と暮らしました。1628年に勝姫が池田光政の元へ嫁いだことで一人暮らしとなりましたが、のちに弟で3代将軍家光の三男綱重と暮らすようになると、江戸城中で将軍につかえる女性たち「大奥」のなかで、大きな権力を持つようになったといわれています。

なお千姫に関し、「吉田御殿のご乱行」という俗謡があります。「♪ 吉田通れば二階からまねく しかも鹿の子の振袖で…」(通りがかりの美男子を連れこんではお楽しみ、あきたら惨殺して井戸に投げこむ、そんなことを繰りかえすうち、御殿のまわりは雄猫さえも通らなくなった。ある時、自分の弟子が行方不明になったのを不審に思った大工の棟梁が、御殿に殴りこんで大騒ぎ。これらの乱行が発覚するのを恐れた千姫は、自害する) といったような内容です。これはまったくのでっちあげで、俗謡の「吉田」は、東海道吉田宿の遊女たちと吉田御殿とをかけて、ともに男は素通りできないとしたものです。千姫が自害していたなら、30歳過ぎで亡くなったはずなのに、亡くなったのは70歳、東京・小石川の伝通院に眠っています。


「2月6日にあった主なできごと」

1537年 豊臣秀吉誕生…戦国時代に足軽百姓の子に生まれながら、織田信長にとりたてられて、全国統一をなしとげた豊臣秀吉が生れたとされる日です。

1972年 日の丸飛行隊が金・銀・銅…札幌冬季オリンピックのスキー70m級ジャンプで、笠谷が金、金野が銀、青地が銅メダルを獲得。過去の冬期オリンピックで金さえとったことのなかった大ニュースに、3人は「日の丸飛行隊」とよばれ話題を独占しました。
投稿日:2014年02月06日(木) 05:40

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)