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『愛の喜び・悲しみ』 のクライスラー

今日1月29日は、オーストリア出身の世界的バイオリニストで、『愛の喜び』『愛の悲しみ』『美しきロスマリン』『ウィーン奇想曲』など、数々の名品を作曲したクライスラーが、1962年に亡くなった日です。

1875年、医者の子としてウィーンに生まれたフリッツ・クライスラーは、音楽好きな父に3歳のころからバイオリンを習いはじめ、めきめき上達し、特別に7歳でウィーン高等音楽院に入学すると10歳で首席で卒業。その後、パリ高等音楽院に入学しましたが、ここでも首席で卒業しました。

1888年アメリカに渡り、ボストンやニューヨークで演奏会を開いて成功をおさめ、翌年ウィーンにもどると、「神童」ともてはやされることを嫌った父の勧めで、地元の高校をへて大学で医学を学ぶものの、父の医業を継ぐ気にはなれませんでした。1895年に帝国陸軍に入隊し、将校となったものの、やはりバイオリンを捨てきれず、1889年音楽界に復帰しました。

ヨーロッパ各地で演奏活動を開始するうち、ベルリン・フィルハーモニーと共演する機会にめぐまれ、バイオリン独奏を激賞されたことで、クライスラーの演奏活動は軌道に乗り、1902年にはロンドン・デビューも大成功のうちに終えました。気をよくしたクライスラーは、しばらくイギリスを本拠地として活動した後、アメリカにわたり、レコーディング活動も始めました。

ところが、1914年に勃発した第一次世界大戦に召集を受け、将校として東部戦線に出征するものの、重傷を負ったことで名誉の除隊となり、ニューヨークの自宅にもどると、療養しながら演奏活動を再開しました。大戦終結後はヨーロッパの音楽界に復帰し、「ウィーン風」といわれる優雅で温かみのある演奏は、大曲も小曲も親愛感あふれるものとなり、世界じゅうにたくさんのファンを作りました。1923年には来日を果たしています。

クライスラーは、今も人気の高い『愛の喜び』『愛の悲しみ』『美しきロスマリン』『ウィーン奇想曲』『中国の太鼓』『ロンディーノ』など、気品あふれるたくさんのバイオリンの小品を作曲しましたが、興味深いのはその発表の仕方です。演奏会のプログラムには、自作とはいわず「埋もれた古い時代の作曲家の曲を編曲した」としたことです。こんな作曲者偽称を、60歳の誕生日までやっていたようです。

1924年から1934年までベルリンを拠点にしましたが、ナチスが政権を獲得し、1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されたのを機にパリに移住しましたが、ヨーロッパが戦場になりそうな雲行きに、翌年アメリカ永住を決意してニューヨークに移り、1943年にはアメリカ国籍を取得しています。

以後の生涯では一度もヨーロッパにもどることはなく、交通事故で重傷を負ったことで視力障害や突発的な記憶喪失などがおき、1950年に引退。1962年ふたたび交通事故にあって、ニューヨークで死去しました。


「1月29日にあった主なできごと」

1866年 ロマン・ロラン誕生…『ジャン・クリストフ』『ピエールとリュース』『ベートーベン研究』などを著したフランスの理想主義的作家、思想家のロマン・ロランが生まれました。

1872年 初の人口調査…近代的人口調査を実施してきた明治新政府は、この日総人口3310万9826人と発表。この年から江戸時代の人別帳にかわる戸籍が作成されました。

1957年 南極に昭和基地…南極観測隊はオングル島に到達し「昭和基地」を開設しました。34名の隊員のうち、西堀隊長以下11名が初の越冬観測のためここに残りました。
投稿日:2014年01月29日(水) 05:54

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)