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「無頼派作家」 織田作之助

今日1月10日は、『夫婦善哉』『世相』『競馬』などを著し、「無頼(ぶらい)派」として太宰治、坂口安吾らとともに人気を博した作家の織田作之助(おだ さくのすけ)が、1947年に亡くなった日です。

1913年、仕出屋の子として大阪・天王寺に生まれた織田作之助は、幼いころに父親が商売に失敗したため、貧しい少年時代を送りました。成績は優秀で旧制大阪高津中学を経て、第三高校(京大教養学部の前身)に入学しますが、両親が相ついで亡くなったため、結婚した姉の援助をうけるものの、1934年卒業試験中に喀血し、転地療養を余儀なくされました。その後復学はするものの勉学の意欲を失い、後に妻となる一枝と出会って同棲生活を始めると上京、フランスの作家スタンダールや井原西鶴に刺激を受けて作家をめざすようになりました。青山光二らと同人誌「海風」を創刊、1938年に処女作『雨』を発表、作家の武田麟太郎らから高く評価されました。

1939年帰阪すると、翌年に出世作となる『夫婦善哉』(ぐうたらな若旦那柳吉と、しっかり者の曽根崎新地の芸者蝶子が駆け落ちの末にたくましく生きる作品)を発表、作家としての地位を確立しました。また、「海風」に発表した『俗臭』も評判となり、室生犀星の推せんで芥川龍之介賞候補作となって注目を集めました。こうして、本格的な作家生活に入った織田でしたが、長編小説『青春の逆説』が発禁処分を受けたり、『夫婦善哉』を収めた単行本が風俗を乱すと警告を受けたり、検閲をおそれて出版社が刊行をひかえたりする作品もありました。

戦後になると、混乱した社会の姿をたくさんの短編小説に著し、親交をかわす太宰治や坂口安吾とともに、「無頼派=新戯作作家」として人気を博しました。ところが、流行作家としての無理がたたり、1946年12月結核による大量の喀血を起こして入院すると、病状はすこしずつ悪化、わずか33年の短い生涯を閉じてしまいました。読売新聞に連載していた長編小説『土曜夫人』(未完)が最後の作品でした。

織田の生誕100年にあたった昨年は、NHKの土曜ドラマとして『夫婦善哉』が放送され、評判になったことは記憶に新しいところです。この作品は、1955年には豊田四郎監督により映画化され、ぐうたら若旦那の森繁久弥としっかり者芸者の淡島千景の演技が評判となり、柳吉のセリフ「おばはん、頼りにしてまっせ」が流行語になったことでも知られています。また、1987年に石川さゆりの歌った演歌『夫婦善哉』は、レコード大賞を受賞、同年の『NHK紅白歌合戦』に出場を果たしてたほか、2006年(第57回)にも歌われたほか、演歌のロングセラーとなっています。

織田のたくさんの作品は、今も色あせぬ魅力を秘め、最近見つかった日記や資料もあって、あらためて研究がすすめられています。


「1月10日にあった主なできごと」

1709年 徳川綱吉死去…江戸幕府の第5代将軍で、当初はすぐれた政治を行なったものの、悪名高い「生類憐みの令」をはじめたために「犬公方」といわれた徳川綱吉が亡くなりました。

1920年 国際連盟発足…第1次世界大戦の反省から、初の国際平和機構である「国際連盟」が発足し、日本を含む42か国が加盟しました。

1922年 大隈重信死去…明治時代に参議・外相・首相などを歴任した政治家であり、東京専門学校(のちの早稲田大学)を創設させた大隈重信が亡くなりました。
投稿日:2014年01月10日(金) 05:24

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)