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「分子工学」 を世界に広めた福井謙一

今日1月9日は、1981年に日本初のノーベル化学賞を受賞した化学者・工学者の福井謙一(ふくい けんいち)が、1998年に亡くなった日です。

1918年、工場経営者の子として奈良市に生まれた福井謙一は、昆虫の大好きな子として大阪市で少年時代を過ごしました。特にファーブルの『昆虫記』が好きで、ファーブルが化学者だったことから化学に興味を持ち、1938年京都帝国大学(現・京都大)工業化学科に入学、化学の理論的な研究をきわめ、卒業後は大学院を経て、母校の講師となりました。第2次世界大戦がはじまると軍務につき、陸軍技術大尉さらに同少佐となって、航空添加燃料イソオクタン製造の研究に従事しました。戦時下にありながら、東京と京都間を往復するなど、自由な生活が許されていたのは幸いでした。

戦後は京都大にもどり、1951年には工学部教授となり、1971年には工学部部長となっています。その間「燃料化学教室」で、量子力学の計算に基づく化学反応のしくみを明らかにする研究に取り組み、1952年に「フロンティア軌道理論」を発表しました。これは、炭火水素のひとつのナフタレンは、炭素原子10個、水素原子8個からできていて、電子の数は68個あり、その電子の動きに注目したところ、ニトロニウムというイオンが、ナフタレンと反応して、新たな化合物になったことがわかり、いちばん外側にある軌道を「フロンティア軌道」、軌道上の電子を「フロンティア電子」と名づけて、論文に発表しました。この理論は、化学物質が混ざり合ったときの化学反応の起こり方を電子の軌道を使ってはじめて明らかにしたもので、世界の化学界に注目されました。1964年には「軌道対称性と選択則」の理論、1970年に「反応の理論」を発表して、これらの理論がすべての化学反応にあてはまることを理論づけました。

福井理論は、その特異性に注目はされたものの、疑問を持つ化学者も多くありました。いちやく脚光をあびたのは、1971年にアメリカのウッドワークとホフマンが、福井理論に基づく「化合物の立体選択制」(ウッドワーク=ホフマン則)を発表したことからでした。それから10年後の1981年、福井は「フロンティア軌道理論」と「軌道対称性と選択則」に対し、ノーベル化学賞が贈られました。日本人として6人目の受賞で、ホフマンも同時受賞でした。この理論の応用範囲は大きく、分子設計、触媒設計など多くの分野に利用されています。

なお、京都大を退いた後の福井は、京都工芸繊維大学学長、基礎化学研究所長などをつとめ、基礎学問の重視、独創的研究の必要性、科学と人間の平和的共存を訴えつづけました。


「1月9日にあった主なできごと」

802年 胆沢城…794年に史上初の征夷大将軍となった坂上田村麻呂は、現在の盛岡市近辺に胆沢(いざわ)城を築城。胆沢城は、およそ150年にもわたって東北の蝦夷地政府ともいうべき[鎮守府]として機能しました。

1891年 不敬事件…3年間のアメリカ留学でキリスト教徒となった内村鑑三は、前年から第一高等中学校の講師として、この日講堂で挙行された教育勅語奉読式において、天皇親筆の署名に最敬礼をおこないませんでした。それが同僚・生徒などによって非難され、社会問題化しました。

1905年 血の日曜日…ロシア帝国の首都サンクトペテルブルクの冬宮前広場で行われた労働者によるデモに対し、政府の兵士が発砲、2000人もの死傷者を出しました。この日曜日におきた事件は、ロシア第1次革命の発端となりました。
投稿日:2014年01月09日(木) 05:59

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)