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自由主義政治家・芦田均

今日6月20日は、戦後の混乱期に国政を担当し、第47代内閣総理大臣をつとめた芦田均(あしだ ひとし)が、1959年に亡くなった日です。

1887年、いまの京都・福知山市の農家に生まれた芦田均は、少年時代から外交官となって日本の近代化に向けて活躍する夢を抱いていました。その願いがかなって、東大を卒業後に外務省に入り、大使館書記官、外務事務官、大使館参事官として、ロシア、フランス、トルコなどに駐在するいっぽう、国際法の研究で法学博士の学位を受けるなど多彩な活動をしました。

1932年、満州事変をおこして大陸侵略する日本の将来をうれい、外交官を辞職して衆議院選挙に出馬して初当選を果たしました。以来当選11回、27年間にわたって国会議員として第一線で活躍しました。その間、ジャパン・タイムズ社長を務めたり、慶応大学の講師として教壇に立ったりしました。

太平洋戦争中は、自由主義者として軍部ににらまれていた芦田でしたが、敗戦後に第二次世界大戦の原因をさぐった『最近世界外交史』を著すと、戦後の政界へすばやいスタートをきりました。日本自由党の結成に加わり、1945年10月の幣原内閣では厚生大臣に、翌年には衆議院憲法改正委員長となって、新憲法制定に関する議会運営にあたりました。

1947年、自由党をはなれて民主党総裁となると、社会党・国民協同党と連立を組み、片山内閣の外務大臣となりました。そして1948年、片山内閣が労働者や農民運動よって倒れると、やはり3党で連立を組んで、第47代内閣総理大臣に就任しました。

芦田内閣は、占領軍(GHQ)の命令に忠実で、なんでもいうことを聞いたため「イエスマン内閣」と呼ばれました。とくに、同年7月マカーサーの命令により、労働者の団対交渉権、争議権を奪ったことは、その後の労働運動に大きな問題を残しました。さらに、大臣たちが汚職に関係した「昭和電工疑獄事件」によって、7か月でつぶれてしまいました。芦田もこの事件で逮捕され、起訴されましたが、1958年に無罪が確定しています。この事件の背後には、GHQ内部にあった、中道政治を支持する民主派の追い落としをはかる強硬な反ソ派が仕組んだ策謀があったといわれています。

なお芦田は、外交史の研究家としても知られ、備忘録の日記や病床での口述筆記によって『第二次世界大戦外交史』を完成させました。生地の福知山市には、「芦田均記念館」が開かれています。


「6月20日にあった主なできごと」

1751年 徳川吉宗死去…江戸幕府第8代将軍で、「享保の改革」という幕政改革を断行した徳川吉宗が亡くなりました。

1837年 ビクトリア女王即位…イギリス史上65年という最長の王となり「大英帝国」の絶頂期を築いたビクトリア女王が即位しました。

投稿日:2013年06月20日(木) 05:30

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)