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「国民的作家」 司馬遼太郎

今日8月7日は、『竜馬がゆく』『坂の上の雲』などの小説、『街道をゆく』などのエッセイで人気を博し、今もたくさんの著書が愛読されている作家・文明批評家の司馬遼太郎(しば りょうたろう)が、1923年に生れた日です。

大阪の薬局を経営する家に生れた司馬遼太郎(本名・福田定一)は、生後まもなく乳児脚気にかかり、3歳まで奈良にある母の実家で養育されました。その後、大阪にもどり、1941年に大阪外語学校モンゴル学科に入学しました。しかし1943年、太平洋戦争が激化したことで兵力不足を補うための学徒出陣により同学校を卒業させられ、兵庫県加古川の戦車第19連隊に入営後、見習い士官として満州の戦車第一連隊に配属されました。1945年に本土防衛のために内地に帰還し、栃木県佐野市に配属され終戦を迎えたのでした。22歳だった司馬は「なぜこんな馬鹿な戦争をする国に生れたのだろう」という疑問を持ち、この地での敗戦の体験が、その後の作家生活の原点だったといわれています。

戦後「新日本新聞」に入社しましたが、1948年に同社の倒産により、「産経新聞社」京都支局に入社しました。1950年に大阪本社へ移り、文化部長、出版局次長を勤めるかたわら寺内大吉らと同人誌「近代説話」を創刊、1955年『名言随筆・サラリーマン』などを本名で発表、1956年には寺内のすすめで司馬遼太郎のペンネームで書いた小説『ペルシャの幻術師』を講談倶楽部賞に応募したところ、海音寺潮五郎の絶賛を受けて同賞を受賞し、文壇デビューをはたしました。

1960年『梟(ふくろう)の城』が直木賞を受賞すると、翌1961年に産経新聞社を退社し、執筆活動に専念しました。1962年から『竜馬がゆく』『燃えよ剣』、1963年から『国盗り物語』を連載し歴史小説家として旺盛な活動を本格化させました。これらが完結されるや、圧倒的な反響をひきおこし、たちまち人気作家となりました。その後も『国盗り物語』『新史太閤記』『関ヶ原』『城塞』の戦国四部作を刊行しました。

1971年から、紀行エッセイ『街道をゆく』を「週刊朝日」に連載を開始するいっぽう、1972年には秋山真之・好古兄弟や正岡子規らの人間群像を通じて明治日本の夜明けを描いた大作『坂の上の雲』、幕末を扱った『世に棲む日日』を発表すると、「国民的作家」の名が定着しはじめ、「司馬史観」と呼ばれる独自の歴史観が注目されるようになりました。

その他、明治初期の『翔ぶが如く』『胡蝶の夢』、江戸後期の『菜の花の沖』、戦国期の『箱根の坂』などを著し、清朝興隆の時代を題材にした『韃靼(だったん)疾風録』を最後に小説を打ちきり、週1回連載の『街道をゆく』月1回連載のエッセイ『風塵抄』『この国のかたち』にしぼって、日本とは、日本人とは何かを問いかける文明批評を行いました。

1993年に文化勲章を受章、1996年に72歳で亡くなりましたが、生涯に刊行した二百数十点にわたる著書群は、今もほとんど版を重ねているのは、まさに驚異的なことです。なお、司馬の自宅の隣地には「司馬遼太郎記念館」が建てられ、司馬の著書や資料本2万点以上を収納しています。


「8月7日にあった主なできごと」

1831年 十返舎一九死去…弥次郎兵衛と喜多八(やじさん・きたさん)の旅行記『東海道中膝栗毛』などで知られる江戸時代後期の戯作者・十返舎一九が亡くなりました。

1941年 タゴール死去…『ギーターンジャリ』の詩でアジア初のノーベル文学賞を受賞し、東洋最大の詩人と讃えられたタゴールが亡くなりました。

1942年 ガナルカナル島の戦い…アメリカ軍の海兵隊が西太平洋ソロモン諸島のガナルカナル島とツラギ島に上陸し、日本軍との戦いがはじまりました。激しい闘いのすえ日本軍は21日までにほぼ壊滅し、ミッドウェー海戦とともに、太平洋戦争における攻守の転換点となった戦闘といわれています。

投稿日:2012年08月07日(火) 05:04

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)