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造語名人・大宅壮一

今日11月22日は、毒舌の社会評論家として活躍した大宅壮一(おおや そういち)が、1970年に亡くなった日です。

1900年、現在の大阪・高槻市にある醤油屋の子として生まれた大宅は、少年時代から、さまざまな雑誌に作文や俳句を投稿してジャーナリズムにふれたり、渋沢栄一やカーネギーのような実業家になりたい夢を持ったり、賀川豊彦を知って社会問題に関心を持つなど、多感な小・中学時代をすごしました。いっぽう、家業をてつだいながら文学に親しむうち、ドイツ語やフランス語を独習したりもしました。

1918年、米の値上がりによる全国的な暴動(米騒動)がおきると、大宅は民衆蜂起を支持する演説をおこなったため、茨木中学を放校されてしまいます。しかし、資格検定試験に合格し、第三高等学校をへて1922年に東大に入学。「新人会」に入り、社会運動家として活躍するいっぽう、生活費を稼ぎだすために夜学の英語教師をしながら、時流を鋭くとらえた評論を雑誌『新潮』に発表してジャーナリストデビューを果たしました。のちに「ほとんど学校に出ず、授業料も納めなかったらいつのまにか除籍されてしまった」と東大を中退したことを語っています。

その後大宅は、昭和初期に刊行された新潮社の『世界文学全集』の編集を手伝ううち、翻訳を下訳、リライトなどの仕事を分担し、「翻訳工場」を組織して、流れ作業によるシステムを考えだしました。『千夜一夜物語』(中央公論社版)など、たくさんの翻訳書を円本で刊行したため、文壇では「大宅翻訳製造会社」と呼んだようです。1933年にはゴシップ・スキャンダル雑誌『人物評論』を自ら編集・刊行し、風俗や人物、時流などを軽妙な語り口でつづって評判をよびました。

太平洋戦争後は、やじうま精神を大いに発揮して、大衆の実感に即した社会・風俗時評を展開し、ラジオ、テレビ、雑誌などマスコミの世界で大活躍をしました。新語や造語づくりの名人で、テレビに熱狂する国民を皮肉って「一億総白痴化」といったり、家庭のいざこざと労働争議をひっかけて「家庭争議」、一流とは言えない地方国立大学の乱立を「駅弁大学」、「男の顔は履歴書」「恐妻」「口コミ」「太陽族」などの造語は特に有名です。

1967年には「大宅壮一東京マスコミ塾」を開塾して、死去によって幕を閉じるまで500名近い塾生を送り出しました。死後、大宅の膨大な蔵書は「大宅壮一文庫」として公開され、雑誌ジャーナリズムの総合図書資料館として多くの人に利用されています。なお、大宅の3女映子は、ジャーナリストとして活躍中です。


「11月22日にあった主なできごと」

1263年 北条時頼死去…鎌倉時代の第5代執権で、北条氏本家による独裁政治の基礎を確立した 北条時頼 が亡くなりました。

1869年 アンドレ・ジッド誕生…『狭き門』『田園交響曲』『贋金つかい』などを著し、ノーベル賞を受賞したフランスの作家 アンドレ・ジッド が生まれました。

1890年 ド・ゴール誕生…フランス建国史上最も偉大な指導者のひとりと評価されている政治家 ド・ゴールが 生まれました。

投稿日:2011年11月22日(火) 06:48

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)