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『みつばちマーヤの冒険』 のボンゼルス

今日2月21日は、『みつばちマーヤの冒険』などの動物文学を著したドイツの作家ボンゼルスが、1880年に生まれた日です。

北ドイツの港町ハンブルク郊外の医者の子として生まれたボンゼルスは、18歳のときに家を飛び出して、ヨーロッパ各地からアジアなどを放浪して歩きました。やがて、ミュンヘンの出版社へ勤務するようになってからも、エジプト、インド、アメリカなどへ旅行をくりかえしました。38歳ころになり、バイエルン地方にあるシュタルンベルク湖のほとりに落ち着いて、自然にかこまれながら暮らすようになりました。そして、1912年に豊富な体験を生かした作品『みつばちマーヤの冒険』を発表、さらにその続編の『天国の住民』や『マリオと動物たち』、旅行記として『インド紀行』『放浪者のおぼえがき』、その他たくさんの小説、詩、戯曲を書き遺して、1952年に亡くなりました。

『みつばちマーヤの冒険』は、次のような内容です。

ある古城の下にみつばちの国がありました。そこにマーヤが生まれましたが、好奇心の旺盛なマーヤには、毎日毎日同じことが繰り返されるお城での生活がなじめません。マーヤは城を逃げ出し、冒険の旅にでかけることを決意します。カブト虫のペピイをはじめ、ハエ、トンボ、コウロギ、バッタなどに次々に出会ったマーヤは、これらの昆虫たちとすぐに友だちになって、さまざまな知識を身につけます。やがて、クモの網にかかってグルグル巻きにされるなど、自然界におこるさまざまな事件を通してマーヤは、一歩ずつ成長していきます。そんなある日、みつばちの国を滅ぼそうとするクマンバチのことを知ったマーヤは、牢獄に閉じ込められても壁を破ってぬけだし、みつばちの女王に急を知らせます。そして、全滅されそうになったみつばちの国を、マーヤの知恵と勇気によって救うのでした……。

古くから人々のあいだに伝わってきた民話には、動物や昆虫などを主人公にした物語がたくさんあります。そうしたお話とは違って、生き物の習性や生活をしっかりみつめる文学が近代になってあらわれてきました。『みつばちマーヤの冒険』は、さらに一歩ふみこんだ、昆虫たちを、人を愛するような温かい心でみつめ、生きる喜びや悲しみをえがいた作品で、そこに子どもたちを感銘させる真実があるようです。ザルテンの著した『バンビ』とならぶ、動物文学の傑作として、高く評価されています。

なお、『みつばちマーヤの冒険』が日本の子どもたちに広く知られるようになったのは、ボンゼルスの原作をもとに、1975年に「テレビ朝日」系列で52話にわたり放送されたテレビアニメがきっかけでした。とても評判がよく、続編を願う声に応えて、『新・みつばちマーヤの冒険』が1982〜83年にテレビ大阪系列で、やはり52話にわたり放送されました。(ともに日本アニメーション制作)  しかしこちらは、ボンゼルスの『天国の住民』『マリオと動物たち』を参考にはしているものの、ストーリーとしては全くのオリジナルといってよいようです。


「2月21日にあった主なできごと」

1911年 対米不平等条約改正…江戸幕府は1859年、アメリカ、ロシア、オランダ、イギリス、フランスとの間で通商条約を結びました。しかし、関税自主権がない上、領事裁判権を認めた不平等なもので、この改正が明治政府の課題でもありました。1894年に陸奥宗光外相がイギリスとの改正に成功していましたが、この日小村寿太郎外相はアメリカとの修正条項に調印。他国との条約も順次修正され、条約改正が達成されました。

1936年 美濃部達吉負傷…「天皇主権説」に対し、「天皇機関説」(まず国家があり、その後に天皇があり、その天皇は国家の代表として一切の権利を有する)を唱えた美濃部達吉が、天皇を絶対視する右翼の男に自宅で右足を撃たれ、重傷を負いました。

1942年 食糧管理制度…太平洋戦争がはじまり、主食が不足するようになったため、「食糧管理法」を公布しました。これにより、米・麦などを農民に供出させ、国民に配給するしくみを作りました。戦後も食糧は不足していたために、GHQはこの制度を続けるように命じ、1994年に「食糧法」が公布されるまで続きました。

投稿日:2011年02月21日(月) 06:40

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)