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『失楽園』 のミルトン

今日12月9日は、シェークスピアと並び称されるイギリスの大詩人ミルトンが、1608年に生まれた日です。

ジョン・ミルトンは、裕福な公証人を父としてロンドンに生まれました。幼いころから英才教育を受け、父の影響から敬けんな清教徒として成長しました。ケンブリッジ大学在学中から、古典研究と詩作にふけり、気高い思想と韻律に満ちた詩集により、世間に認められましたが、卒業後は、政治に熱意をもつようになりました。

当時イギリスでは、王党派が市民階級や清教徒を弾圧して、内紛状態が続いていました。ミルトンは、クロンウェルのひきいる共和政府のために、信仰や言論の自由などに関する数々の論文を書いて最前線に立ち、1642〜49年の「清教徒革命」をなしとげ、国王チャールズ1世処刑の正しいことを弁護しました。

その後、クロンウェルの外国語秘書官となりましたが、過労が原因で両目が失明するという悲劇に見舞われました。さらに、クロンウェルが急死してしまい、チャールズ2世による王政復古となると、王党派の報復を受けて投獄されてしまいました。

やがて釈放され、公職をしりぞいたミルトンは、およそ5年の歳月をかけて、口述で、『失楽園』(12巻)を1667年に書き上げました。この作品は、『旧約聖書』の「創世記」にのっているアダムとイブの話をもとにした人間の原罪を扱った長編の大叙事詩で、ダンテの『神曲』と並び、ルネサンス期の名作として讃えられています。

さらに、『失楽園』の続編ともいうべき『復楽園』や悲劇『闘士サムソン』などの作品を、やはり口述筆記で完成させ、1674年に亡くなりました。敵対者から「失明は天罰だ」とあざ笑わられても、「失明という最大の逆境に厳然と耐え、乗りこえている自分は絶対に不幸ではない。惨めでもない。私は勝利者である」というミルトンの信念も、大いに評価されています。
 

「12月9日にあった主なできごと」

1159年 平治の乱…当時源義朝らの源氏と、平清盛らの平氏の2大勢力がしのぎをけずっていました。この日、平治の乱がはじまり、源義朝は殺害され、その子の頼朝は捕えられて、平氏は全盛期を迎えることになりました。
 
1860年 嘉納治五郎誕生…講道館柔道の創始者であり、日本のオリンピック初参加に尽力するなどスポーツの海外への道を開いた嘉納治五郎が、生まれました。

1867年 王政復古の大号令…討幕派である薩長の武力を背景に、天皇親政をうたいあげた王政復古の大号令が発せられられました。幕府・摂政・関白を廃止し、総裁、議定、参与の3職をおき、神武天皇の昔にもどり、身分の別なく天下のために努力せよ、といった内容が盛りこまれていて、その後の政治の性格を規定するものでした。これにより、薩長は、徳川の実権を完全に奪い取ることに成功し、明治新政府の発足となりました。

1916年 夏目漱石死去…『坊ちゃん』『吾輩は猫である』『草枕』などの小説で、森鴎外と並び近代日本文学界の巨星といわれる夏目漱石が亡くなりました。

1945年 農地改革…連合国軍総司令部(GHQ)は、占領政策として経済構造の民主化をはかりましたが、そのひとつが、この日指令された「農地改革に関する覚書」(もうひとつは財閥解体)。47年から49年の間に、全国260万町歩の小作地のうち200万町歩が自作農に解放され、地主制はほぼ壊滅することになりました。

投稿日:2010年12月09日(木) 09:18

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)