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「昭電事件」 と芦田均

今日12月7日は、1948年におきた贈収賄汚職事件「昭和電工事件」(昭電事件)によって、首相だった芦田均(あしだ ひとし)が、逮捕された日です。

この事件は、戦後の復興資金として復興金融金庫からの融資を受けるため、大手化学工業会社の昭和電工社長による政府高官や政府金融機関幹部に対する贈収賄事件で、1948年6月に発覚、連合国最高司令部(GHQ)内の抗争も絡んだ事件でもありました。

収賄側として、大蔵官僚で後に首相となる福田赳夫、民主自由党の大野伴睦の逮捕にはじまり、やがて政府高官や閣僚の逮捕にまで及びました。3月に片山内閣総辞職後、首相兼外相として民主・社会・国協三党連立による「中道内閣」を組織した芦田内閣が、10月に総辞職するに至りました。そして2か月後に芦田が、首相として初の逮捕となったのです。

芦田均は、1887年に京都の農家に生まれました。1912年、東京帝国大学仏法科を卒業後、外務省に入ってロシア、フランス、トルコ、ベルギーに駐在しましたが、1931年に日本が満州事変をおこして大陸侵略をはじめると、政府の政策に反対して退官しました。

1932年、立憲政友会から衆議院議員に当選して政治の世界に入りました。いっぽう、ジャパンタイムズを経営しながら、慶応大学の講師として教壇に立ち、自由主義的な考え方を語りました。軍部には常に批判的だったため、第二次世界大戦後は、親欧米リベラル派として注目されるようになりました。

1945年10月の幣原内閣の厚相に就任、11月には鳩山一郎らと日本自由党創立に加わり、翌年には日本国憲法制定に参加しました。1947年3月日本進歩党に転じ、民主党を結成して総裁になりました。6月には社会党首班三党連立の片山内閣に副総理兼外相として入閣する活躍ぶりでした。

芦田は、1958年無罪とはなりましたが、保守政界のリーダーに復帰することはなく、『芦田均日記』(全7巻)や『第二次世界大戦外交史』など外交史・国際法関連の著作を遺し、1959年に亡くなりました。

なお、昭電事件による逮捕者64人のうち、裁判の結果は有罪2名のみでした。この事件は、芦田を失脚させるための検察ファッショであったとみられています。


「12月7日にあった主なできごと」

1827年 西郷隆盛誕生…大久保利通、木戸孝允と並び、徳川幕府を倒すために大きな功績のあった「維新の三傑」の一人西郷隆盛が生まれました。

1867年 日本初の紡績工場…薩摩藩は、イギリスのプラット社から3600錘もの紡績機械を購入し、技師をつきそわせてこの日その荷が長崎に到着。まもなく薩摩藩は、家内工業的な機織にかわる近代的な鹿児島紡績工場を操業させました。
 
1878年  与謝野晶子誕生…『みだれ髪』など明治から昭和にかけて活躍した歌人であり、詩人・作家・思想家としても大きな足跡を残した与謝野晶子が生まれました。

投稿日:2010年12月07日(火) 07:43

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)