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世界の真珠王・御木本幸吉

今日9月21日は、真珠養殖の成功とそのブランド化などで財をなした御木本幸吉(みきもと こうきち)が、1954年に亡くなった日です。

御木本幸吉は1858年、志摩国(三重県)の鳥羽で生まれました。家は、屋号を「阿波幸」という、うどん屋でした。少年時代の幸吉は、うどん屋を手伝いながら、野菜や米や卵などを売り歩いて、家のくらしを助けました。

幸吉が、人間の手で美しい真珠を作りだすことを決心したのは、32歳のときでした。30歳で真珠商人になったものの、商人たちが天然の真珠をうばいあうため、日本の真珠がしだいに少なくなっていくことに心を痛めていた幸吉は、東京帝国大学の箕作佳吉博士から貝の中で真珠ができる秘密をおそわり、胸をときめかせて養殖にとりかかったのです。

「成功まで一生かかるかもしれないが、死んでもやりぬくぞ」

幸吉は、英虞(あご)湾に養殖場を作り、たくさんのアコヤ貝に真珠の核になる粒を入れて、海中に沈めました。しかし、何度やっても失敗でした。あるときは、赤潮で海中のアコヤ貝が全滅してしまいました。でも、幸吉は、くじけませんでした。人から「真珠きちがい」と笑われながら、実験をくりかえしました。

1893年7月のある日、幸吉と妻のうめは、海岸で貝の中を調べていました。すると突然、うめが叫びました。

「あなた、あったわ、あったわ、光ってる」

うめが開いた貝に、きらりと光るものがあります。形はまだ半円ですが、まちがいなく真珠です。

「よし、方法を考えれば、きっと、丸い真珠ができるぞ」

幸吉は、むちゅうになって研究をつづけました。そして、ついに1905年に、真円真珠の養殖に成功しました。死んでもやろうと決心して15年、幸吉は47歳でした。

大きな夢をかなえた幸吉は、つぎには、この日本の養殖真珠を世界に広めることにのりだしました。

「全世界の女性の首に真珠を飾らせてみせる」

養殖場をふやし、飾りものを作る加工場も建て、ニューヨーク、パリ、ロンドンなどに店を開いて、ミキモト・パール(現・ミキモト)をいっせいに売りだしたのです。昭和の初めにアメリカへ渡り、発明王 エジソン に真珠をおくったときには「わたしは、ダイヤモンドと真珠だけは作ることができなかった。あなたは偉大だ」とたたえられました。

1924年、66歳の幸吉は貴族院議員に当選しました。しかし、わずか1年で自分からしりぞき、1954年に96歳で亡くなるまでの長い生涯を、真珠養殖の改良にささげつくしました。


「9月21日にあった主なできごと」

1933年 宮沢賢治死去…「雨にも負けず」 などの詩や 「風の又三郎」 「銀河鉄道の夜」 「セロ弾きのゴーシュ」 などの童話を著した 宮沢賢治 が亡くなりました。

投稿日:2010年09月21日(火) 08:00

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)