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近代化学の父・ラボアジエ

今日8月26日は、従来の化学理論を次々と正し、実験で証明したフランスの偉大な科学者ラボアジエが、1743年に生まれた日です。しかし1789年にはじまったフランス革命によって命を奪われた悲劇の人でした。

アントワーヌ・ローラン・ラボアジエは、パリの恵まれた家庭に生まれました。父は弁護士で、母も弁護士の家に育った人です。幼いころから名門校に通い、すぐれた教育をうけたラボアジエは、勉強が何よりもすきだという少年時代を過ごし、やがて大学にすすんで、法律を学びます。

しかし、関心はしだいに自然科学の方面へむいていきました。化学をはじめとして地質学、植物学、天文学など、広く学びました。23歳の時、早くも都市の夜間照明についての論文を書いて、化学アカデミーから金メダルを受賞しました。ラボアジエが手がけた研究は、いろいろな分野にまたがっています。その中でも、元素の研究は、近代科学の橋渡しとなった、もっとも輝かしい業績です。

それまでは、火と水と土と空気の4種類が元素であると信じられていました。ラボアジエは、さまざまな実験をくり返し、4元素説が間違いであることを証明しました。そして、新たに酸素、窒素、水素など30種の元素が存在していることを確かめました。ラボアジエが、これらの研究結果をもとに出版した『化学教科書』は、近代科学の道しるべとして高い評価をうけました。

ラボアジエの活躍によって、化学は急速な進歩をとげました。しかし、社会のしくみやしきたりは、古い形で根強く残っていました。人びとは、不合理な制度にしばられて、苦しい生活にひたすら耐えていました。多くの不公平は、少しも改善されずに、不満はふくれ上がるばかりでした。そして、人びとの不満は、絶対王政へのはげしい敵意となって、フランス革命に発展しました。きびしい追及が始まり、ラボアジエにまで非難がおよびました。ある時期、徴税請負人という、税金をとりたてる仕事をしていたからです。どんなに貧しく困っている人からも、むりやり集金していくので、たいへん憎まれた職業でした。

ラボアジエは、革命の嵐にまきこまれ、1794年51歳の年に断頭台で処刑されてしまいました。学者をはじめとして多くの人が、ラボアジエの死を悔やみました。フランス国民は、とり返しのつかないことに気がつき、罪人の名をとり消して、ねんごろに葬儀を営んだそうです。


「8月26日にあった主なできごと」

1789年 フランス人権宣言の採択…フランス革命で、バスティーユ牢獄の襲撃をはじめその後の動乱が落ち着いたこの日、国民議会は憲法の前文にあたる「人間と市民の権利宣言」(人間宣言)を採択しました。アメリカの独立宣言を範としたこの宣言は17条からなり、権利の平等、人間が当然の権利として持つ自由、主権在民、思想・言論の自由、所有権、安全、圧政に対する抵抗権の確認などの原則が示されています。この民主主義の考え方は、新しい市民社会の原理となりました。

投稿日:2010年08月26日(木) 09:15

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)