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ポンペイ最後の日

今日8月24日は、イタリアのナポリ近郊にあった都市ポンペイが、紀元79年のベスビオ火山の噴火による火山灰で地中に埋もれた日です。ポンペイは、18世紀に発掘が開始され、現在は主要な部分が一般公開されています。1997年には、古代ローマ人の暮らしぶりや文化遺産があざやかに残されているとして「世界遺産」に登録されています。

ポンペイは、古代ローマの貴族たちの保養地として栄えた町で、噴火当時の人口は1万数千人、そのうち2000人ほどが逃げ遅れて犠牲になったと推定されています。火山灰は、わずか1日足らずで5メートルの深さに町全体をつつみこみ、そののちも断続的にふりそそいで、町は完全に姿を消してしまいました。その上に草や木が生い茂り、ポンペイという町は忘れられてしまったのでした。

ポンペイが再び発見されたのは16世紀の終わりごろで、運河工事のときに偶然発見されました。そして、1748年から本格的な発掘がはじまりました。神殿や公衆浴場、闘技場などのほか、ポンペイとその周辺の別荘から次つぎに現れるローマ時代の壁画などの遺品の美しさに、世界じゅうの人々が驚きの声をあげました。それ以降、現在にいたるまで発掘がつづけられています。でもなぜ、ポンペイの壁画は豊かな色彩を失わなかったのでしょうか。

その理由は、町に降り積もった火山灰にありました。火山灰には乾燥剤として用いられるシリカゲルに似た成分が含まれていて、湿気を吸収する性質があったこと。そしてこの火山灰が町全体を埋めつくしたため、壁画や美術品の劣化を最小限に食い止めたことでした。

こうしてポンペイの悲劇は、皮肉にも古代ローマ帝国の栄華を今に伝えることになりました。ポンペイの町は、古代ローマの伝統を守って、ほぼ直角に交差する大通りによって区切られ、計画的に設計されていました。上下水道が整備され、きれいな水が町中に送られ、水道水の量を調節して出す仕組みなどは現在とほとんど変わらないというのも驚きです。通りの両側には石造りの家と店があり、当時の暮らしぶりをそのまま伝えています。

テーブルに並べられたままの食事や食器、人々が食べていた卵や焼いたままのパンや肉なども、こちこちに固まってはいるものの、くさることなく掘り出されました。コインや台所のつぼ、ペンを置くインクスタンド、子どものおもちゃ、象牙のクシなど等……。クリーニング屋のような職業、貿易会社まであったこともわかりました。

イタリアへ旅行する機会がありましたら、ぜひポンペイまで足をのばすことをおすすめします。


「8月24日にあった主なできごと」

1594年 石川五右衛門刑死…豊臣秀吉が愛用する「千鳥の香炉」を盗もうとして、捕えられた盗賊の石川五右衛門とその親族は、京都の三条河原で、当時の極刑である[釜ゆでの刑]に処せられました。これ以降、釜型の風呂のことを「五右衛門風呂」と呼ぶようになりました。

1897年 陸奥宗光死去…イギリスとの治外法権を撤廃、日清戦争後の下関条約締結の全権大使をつとめるなど、近代日本の外交を支えた 陸奥宗光 が亡くなりました。

投稿日:2010年08月24日(火) 08:11

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)