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明治維新を実現させた公家・岩倉具視

今日7月20日は、公家出身で幕末から明治前期に活躍した政治家 岩倉具視(ともみ)が、1883年に亡くなった日です。

1825年、京都の公家堀川家に生まれた具視は、14歳のとき岩倉家の養子になりました。やがて、朝廷に務めるようになり、29歳の時に孝明天皇の侍従となりました。

岩倉具視が政治の世界に登場するのは、1858年に幕府が日米修好通商条約を結んだときからです。1858年1月、幕府の老中堀田正睦(まさよし)は、日米修好通商条約を結ぶにあたり、天皇の許可を求めました。これに対して岩倉は、同志の公家88人とともに、条約を朝廷が幕府に委任することに反対、攘夷のための軍備の充実を主張しました。

しかし6月、大老・井伊直弼 は独断で日米修好通商条約を締結しました。井伊は続いてオランダ、ロシア、イギリスと次々と不平等条約を締結しました。これに反対する尊攘派に対し、井伊は「安政の大獄」を発動して大弾圧を加えました。

1860年、桜田門外の変で井伊が殺害されると、幕府は公武合体派が勢力を広げ、孝明天皇の妹である和宮(かずのみや)を14代将軍徳川家茂へ降嫁してもらえないかと朝廷にもちかけました。朝廷側にあって幕府と交渉にあたったのが岩倉でした。

孝明天皇は、条約の破棄と攘夷を条件に和宮降嫁を認め、1861年10月に和宮は江戸へ下向し、岩倉もこれに随行しました。尊攘派の志士たちは岩倉を「佐幕派」として排撃したため、岩倉は辞官し、京都のいなかの岩倉村に身をひそめざるをえませんでした。

しかし諸藩の勤皇の志士たちは、岩倉と秘かに連絡をとりました。そして、倒幕についての意見をかわすうち、岩倉はしだいに朝廷内の倒幕派の中心となっていきました。やがて朝廷にもどった岩倉は王政復古をめざし、薩長2藩に討幕の密勅を下すことに成功、明治天皇が位についたのち、明治維新を実現させるのです。

明治新政府の成立とともに岩倉は、外務卿など重要なポストにつき、1871年には右大臣となって、条約改正交渉と米欧視察のため、特命全権大使として、木戸孝允大久保利通伊藤博文 ら使節団をひきい、1873年に帰国しました。

その直後、西郷隆盛 らが主張した征韓論に対して、岩倉は大久保利通らと組んでこれを退けました。そのため、征韓派の不平士族たちに襲われて、暗殺されそうになったこともありました。

その後の岩倉は、天皇を中心とした明治国家の基礎を固めるための莫大な皇室財産をつくりだし、帝国憲法の土台を示しながら、59歳で亡くなったのでした。


「7月20日にあった主なできごと」

1937年 マルコーニ死去…無線電信の発達に大きな功績をのこした、イタリアの電気技術者 マルコーニ が亡くなりました。

投稿日:2010年07月20日(火) 08:04

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)