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抗生物質のワクスマン

今日7月22日は、結核菌を死滅させるストレプトマイシンなど、20を超える抗生物質を発見したウクライナ出身のアメリカ生化学者ワクスマンが、1888年に誕生した日です。

セルマン・ワクスマンは、ロシアのウクライナ地方の小さな町に生まれました。9歳のとき町にジフテリアがはやり、2歳の妹をあっというまに亡くしてしまいました。しかし、市から届いた血清が間に合った人は、みんな助かっています。妹を失った悲しみのなかで、ワクスマンは血清のすばらしいききめに心をうばわれました。そして、この驚きがきっかけとなって、薬の研究をしようと心にちかいました。

ワクスマンはユダヤ人なので、ロシアではなにかと不自由な思いをします。そこで22歳のときアメリカに渡り、苦学しながらラトガース大学で農学を学びました。卒業後は、農業試験所で土の中の微生物の研究をつづけ、1930年には、ラトガース大学の教授になりました。

「土にすむ細菌のなかで、結核菌に強い菌がきっといるにちがいない。それをさがしだしてみよう」

ワクスマンは、土の中では結核菌がいつのまにか死んでしまうことを知って、こう思いつきました。しかし土の中には、数えきれないほどたくさんの菌がいます。そのなかからめざす菌をさがすことは、考えただけで気の遠くなるようなことでした。

くる日もくる日も、こつこつとねばり強く研究をつづけました。そのうちに、ふとしたことから放線菌という菌のいる土の中では、ほかの細菌類が少ないことに気づきました。放線菌には、ほかの細菌をほろぼす力があるということをつきとめたのです。これは大きなヒントになりました。

さらに研究をつづけたワクスマンは、1943年になってとうとう、ストレプトミセス・グリセウスという放線菌から、ストレプトマイシンをとりだすことに成功しました。また、ストレプトマイシンをつくる菌が、自然のなかではとても少ないことから、これを人工的に育てる方法もみつけたばかりでなく、自然にあるもの以上にききめのある菌も、つくりだしたのです。

それまで結核は、かかったら最後、けっして治らない病気といわれていました。ところがストレプトマイシンは、結核菌だけでなく肺炎菌などにも、おどろくほどの効果がありました。この薬が発見されたことによって、いったいどれほど大勢の患者が救われたことでしょう。

ワクスマンは、1952年にノーベル生理・医学賞を受けました。その授賞式の帰り、日本にも立ち寄り、各地で講演をしています。その後、ストレプトマイシンの特許料の一部で日本ワクスマン財団をつくり、研究者の育成にもつくし1973年に亡くなりました。


「7月22日にあった主なできごと」

1363年 世阿弥誕生…室町時代に現在も演じられる多くの能をつくり、「風姿花伝」(花伝書) を著して能楽を大成した 世阿弥 が生まれました。

1822年 メンデル誕生…オーストリアの司祭で、植物学研究を行い、メンデルの法則と呼ばれる遺伝に関する法則を発見した メンデル が生まれました。

1922年 高峰譲吉死去…消化薬タカジアスターゼの開発や、アドレナリンの抽出など、理化学や医学の発展に大きく貢献した 高峰譲吉 が亡くなりました。

投稿日:2010年07月22日(木) 08:18

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)