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フランスの偉大な指導者 ド・ゴール

今日11月9日は、フランス建国史上最も偉大な指導者のひとりと評価されている政治家 ド・ゴールが、1970年に亡くなった日です。

シャルル・ド・ゴールは、1890年フランス北部の工業都市リールに生まれました。

「祖国フランスの名誉のために、生きなければいけない」

熱心なカトリック信者で学者の父に、このように教えられて育ったド・ゴールは、中学校を卒業すると、陸軍士官学校へ進みました。

1914年に始まった第1次世界大戦では、負傷して、ドイツ軍の捕りょになりました。しかし、ドイツ軍の降伏で戦争が終わると、さらに、陸軍大学校に学び、しだいに、フランス軍の指導者へ昇進していきました。

1939年に第2次世界大戦が始まり、つぎの年、ド・ゴールは、国防次官に任命されました。そしてついにフランスの名誉のために、立ちあがるときが、おとずれました。フランス軍は、強力な航空機と戦車をそろえたドイツ軍に敗れ、このときのフランス大統領は、あっけなくドイツに降伏してしまったのです。

「フランスは、ひとつの戦いには敗れたが、戦争に負けてしまったのではない。どこまでも、戦いをつづけよう」

ド・ゴールは、イギリスへのがれ、ラジオで、フランス国民によびかけました。そして、自由フランスの名をかかげた組織をつくり、祖国を占領したドイツへの抵抗をつづけました。

1945年、連合国軍の勝利で戦争は終わり、国の名誉を守った英雄としてたたえられたド・ゴールは、新しくうちたてた臨時政府首相の地位につきました。しかし、憲法問題で議会と対立としてわずか数か月で首相をしりぞき、指導政党を解散したのち、国の政治からはなれました。未来の平和を願って「世界大戦回顧録」を書き残したのは、このときです。

1958年、ド・ゴールは、ふたたび、国の指導者となりました。フランスの植民地アルジェリアでくすぶり始めた、革命の火を消すために、国民にのぞまれて、ふるい立ったのです。

「もう、植民地を、力でおさえつけておく時代ではない」

フランス共和国大統領となったド・ゴールは、植民地を次つぎに独立させました。アルジェリアの火も1962年に消しとめて、独立をみとめました。そして、それらの新しい独立国をまとめてフランス共同体をつくり、フランス国家の勢力を、さらに強いものにしていきました。

いっぽう外交にも力を入れ、ソ連、中国などとも、すすんで交わりました。はば広い外交による世界の平和を考えたのです。ド・ゴールは、1965年に大統領に再選されてからも、世界のどんなに大きな力にも屈しない独自の外交をおし進めました。

大統領として強い権限をふるったことには、ひはんもありました。しかし、祖国フランスのために生きた栄光の生涯でした。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで公開中)17巻「アインシュタイン・ヘレンケラー・チャップリン」の後半に収録されている7編の小伝の一編 「ド・ゴール」 をもとに記述したものです。


「11月9日にあった主なできごと」

1872年 太陽暦の採用…明治政府は、西欧の国ぐにならって太陽暦を採用すると、この日に決定しました。具体的には、明治5年12月3日を明治6年1月1日とすることで、太陽暦(新暦)に切りかわりました。これまでの日本の暦は、月の満ち干の周期をもとにした太陰暦(旧暦)が使われていました。

1876年 野口英世誕生…黄熱病・梅毒・狂犬病・蛇毒などの細菌の研究に、大きな成果をあげた 野口英世 が、誕生しました。

1989年 ベルリンの壁崩壊…第2次世界大戦に敗れたドイツの首都だったベルリンは、ソ連を中心とする社会主義国が管理する東ベルリンと、アメリカ、イギリス、フランスなどの資本主義国の管理する西ベルリンに分断されました。さらに1949年には、ドイツという国も社会主義国の「東ドイツ」と、資本主義の「西ドイツ」の2つに分かれてしまいました。1961年8月に作られた壁のために、行き来のできなくなった東西ベルリンでしたが、この日東ドイツ政府は通行を認めると発表。東西ドイツをへだてる象徴だった「ベルリンの壁」の崩壊がはじまりました。こうして、翌1990年10月3日にドイツは統一されました。

投稿日:2009年11月09日(月) 09:30

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)