今日5月22日は、新田義貞が鎌倉幕府の執権北条高時を討ち、1333年に、鎌倉幕府が滅亡した日です。
鎌倉時代も後期になると、執権の北条氏の政治のやり方に、不満を持つ武士が多くなりました。そんな実情を知った 後醍醐天皇 は、武士に奪われた政権を自分たちのものにしようと、1331年に「元弘の乱」といわれる倒幕の兵をあげましたが、幕府方の勢いがまさり、天皇は、隠岐島にながされてしまいました。
しかし、1333年の5月になると、幕府側の御家人である上野国の 新田義貞 や下野国の 足利高氏(尊氏)らが幕府から朝廷へ寝返り、諸国の反幕府勢力を集めはじめました。
この動きを知った後醍醐天皇は隠岐島を脱出して、ふたたび倒幕の兵を挙げました。京都では、足利高氏の兵が六波羅探題(鎌倉幕府の出先機関)を滅ぼしました。
当時の鎌倉幕府の執権は、北条氏9代目の高時でした。北条氏は、有力な身内を全国にばらまいて治めていたため、関東の守りが手薄になっていたところに、新田義貞の軍が挙兵しました。新田軍は一族や周辺御家人を集めて兵を増やし、数万人の規模にふくれあがったといわれています。
新田軍は、三方から鎌倉を攻撃しましたが、天然の要塞となっていた鎌倉の切通しの守りは固く苦戦。義貞は一計を案じ、幕府軍の裏をかいて稲村が崎から鎌倉へ突入、東勝寺で、北条高時ら北条氏一族283人を自害させ、鎌倉幕府が滅亡しました。
鎌倉幕府滅亡後は、1333年6月に、後醍醐天皇が「建武の新政」を開始しましたが、武士層を中心に不満がまきあがり、1336年に協力者だった 足利尊氏 の離反により、政権は崩壊しました。
「5月22日にあった主なできごと」
1775年 蒸気機関の特許…イギリスのエンジニアである ワット は、凝縮機、調速機、変速機の発明など蒸気機関の改良をおこなって、この日特許を取得しました。ワットの蒸気機関は、鉱山や工場で広く用いられ、産業革命の原動力となりました。