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新大陸を発見したコロンブス

今日5月20日は、スペインのイザベラ女王の援助を得て、最初にアメリカ海域へ到達したイタリア出身の探検家・航海者のコロンブスが、1506年に亡くなった日です。

コロンブスは、1446年にイタリアのジェノバに生まれたといわれていますが、1451年説などもあって、はっきりわかっていません。

父親は、毛織物業者だったため、コロンブスは家業を手伝いながら船乗りになり、イギリスや北海、アイルランド方面までも航海したようです。やがてポルトガルのリスボンで耳にした地球球体説に影響され、これまでの航海経験から、西へ西へ進み続ければアジアへと到達できるという考えに達しました。

肉食が中心のヨーロッパの人たちにとって、インド産のコショウは、料理や食卓になくてはならないものになっていました。中国の絹やセイロンの真珠など、東洋の品物はヨーロッパの人たちにとってあこがれの宝の山でもありました。さらに、マルコポーロの「東方見聞録」には、ジパング(日本)は、金の国と記されています。そのため、東洋への一航海で、巨万の富がえられると思ったにちがいありません。

1484年、ポルトガル国王に航海のための援助を求めましたが断られてしまいました。その頃ポルトガルはアフリカの喜望峰に達していて、わざわざ新しい航路を開拓しなくてもインドに着くと考えたからでした。そこで、コロンブスは、ラ・ラビタ修道院長の紹介で、1486年にイザベラ1世に援助を願い出ましたが、当時のスペインではイスラム勢力が占拠するグラナダを攻めるために準備を整えていて、良い返事が得られませんでした。

しかし1492年1月、スペインはグラナダを攻め落としレコンキスタを完遂したため、財政上の余裕ができたのとポルトガルに対する対抗心もあって、イザベラは正式にコロンブスの計画に援助の手をさしのべました。こうして、サンタ・マリア号など3せきの船と120人の船乗りたちは、1492年8月、大西洋をインドを目ざしてパロス港を出航したのです。

そして、10月11日に水夫が陸地を発見。コロンブスはその島に上陸して、サン・サルバドル島と名づけました。その後、いくつかの小さな島を見つけた後、現在のキューバ島を発見しましたが、期待した東洋の宝の山はみつかりませんでした。

その後も、コロンブスは、1493年、1498年、1502年と4度にわたり出航しましたが、スペイン王室はコロンブスに対してあまりやさしくなく、新大陸が東洋だと思いこんだまま、1506年、失意のうちに亡くなりました。

しかし、コロンブスの新大陸発見がきっかけとなって、中南米の国々のうち、ブラジルがポルトガル領になった以外は、ほとんどすべてスペイン領となったほか、大航海時代の幕が開いたのです。

なお、コロンブスの詳しい生涯は、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック・せかい伝記図書館・4巻 「コロンブス」 をご覧ください


「5月20日にあった主なできごと」

1498年 バスコ・ダ・ガマ新航路発見…ポルトガル国王にインド航路を開拓するよう求められていた バスコ・ダ・ガマ は、アフリカ南端の喜望峰を経て、この日インドのカリカットに到達しました。リスボンを出発からおよそ10か月でした。この航路発見により、ヨーロッパとアジアは船で行き来できるようになり、ポルトガルはアジアへ植民地を広げていきました。

投稿日:2009年05月20日(水) 13:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)