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明治・大正期の思想家 内村鑑三

今日3月28日は、足尾鉱毒事件を非難したり日露戦争に反対するなど、正義と平和のために生きた思想家・内村鑑三が、1930年に亡くなった日です。

7歳のときに明治時代を迎えた内村鑑三は、12歳から数年、東京で英語を学び、15歳で、札幌農学校へ入学しました。

「少年よ、大志をいだけ」クラーク博士が、このことばを残してアメリカへ帰ったばかりの農学校には、キリスト教の精神がみちあふれていました。

鑑三は、初めは、キリスト教を強くこばみました。しかし、上級生たちのえいきょうで17歳のときに洗礼を受け、やがて仲間と教会を建設するほど、キリスト教を深く信仰するようになっていきました。

優秀な成績で4年間の学業を終えた鑑三は、水産学者になる夢をいだいて、水産物の調査をする役人になりました。ところが、それから3年のちには、わずかなお金をふところに入れて、太平洋を越える船に乗り込んでいました。神の前で永遠に愛しあうことをちかった妻との結婚生活に、半年でやぶれ、神にそむいた罪を背負って、アメリカへ渡ったのです。

鑑三は、4年のあいだ、はたらきながら大学や神学校でキリスト教を学び、罪をつぐなうために神の子として生きることを心に決めて、27歳で日本へ帰ってきました。

1890年、鑑三は第一高等中学校の講師になりました。でも、わずか半年でやめさせられてしまいました。

学校で、明治天皇からくだされた教育勅語をいただく式がおこなわれたときのことです。箱に入った巻物に、教師も学生も頭をさげましたが「わたしがおがむのは、ただひとつ、キリストの神だけだ」と、自分にちかっていた鑑三は、頭をさげませんでした。天皇は生きた神だとされていた時代でしたから「鑑三は国賊だ」と、ののしられ、学校を追われてしまったのです。

そのごの鑑三は、貧しさとたたかいながら、キリスト教と日本文化のむすびつきや、日本人の心について深く考え『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』などを書きつづけました。また各地での講演で、心をたいせつにする正しい人間の生き方と、自分より人を愛するキリスト教の教えを説きつづけました。

日露戦争が起こりそうになったときには「人を殺す戦争は大罪悪だ」と叫び、1904年に戦争が始まると、日本が勝つことよりも、ただひたすらに平和を祈りました。

鑑三は、勇気ある生き方を人びとに示して、昭和の初めに69歳の生涯をとじました。「人間がこの世に残すことのできる最大のものは、金や名誉ではなく、勇ましい高尚な生涯だ」。これは講演「後世への最大遺物」のなかの、鑑三のことばです。

この文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)33巻「牧野富太郎・豊田佐吉」の後半に収録されている14名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。

なお、「青空文庫」には、内村鑑三の9編の論文が公開されています。

投稿日:2008年03月28日(金) 09:26

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)