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明治期の外交官・小村寿太郎

今日11月26日は、日英同盟、日韓併合の立役者であり、日露戦争が終結したポーツマス講和会議の全権大使を務めた外交官・小村寿太郎が1911年に亡くなった日です。

1904年に、日本とロシアのあいだで起こった日露戦争は、陸軍が満州(いまの中国東北部)でロシア軍を退却させ、海軍が日本海でロシア艦隊をげきめつして、日本が勝ち進みました。しかし、1年もたつと、兵力も武器も底をつき、戦争をつづける力を失いかけていました。そこで日本は、アメリカに戦争を終わらせるための仲だちをたのみ、1905年8月にアメリカのポーツマス軍港で、ロシアと話し合いをすることになりました。

このとき、日本の全権としてポーツマスにのりこんだのが、明治政府の外交官、小村寿太郎です。

寿太郎は、1855年、日向国(宮崎県)の飫肥藩につかえる身分の低い武士の子として生まれました。無口で忍耐強く、ひとりで静かに本を読むのがすきな少年でした。

寿太郎は、15歳で大学南校(いまの東京大学)に進みました。そして、卒業後、文部省の留学生にえらばれてアメリカへ渡り、25歳で帰国すると4年ほど司法省で裁判所の仕事をしたのち、外務省へ入りました。でも、37歳までは目だたない仕事がつづき、外務省の役人としてはめぐまれませんでした。

寿太郎が外交官のスタートをきったのは、38歳のときに外務大臣の陸奥宗光にみとめられて、清国(中国)におかれていた日本公使館の、代理公使に任命されてからのことです。それは、日清戦争が起こる1年まえのことでした。

そののちの寿太郎は、朝鮮、アメリカ、ロシアなどの公使をつとめながら、むずかしい外交の役を果たし、とくに、南へ領土を広げようとするロシアをおさえることに力をつくしました。

46歳で、桂太郎内閣の外務大臣に迎えられました。ところが、ロシアは、満州や朝鮮へ手をのばそうとするのをやめず、ついに、日露戦争が始まってしまいました。そして1年ののち、寿太郎がポーツマスの講和会議にのぞむことになったのです。

会議は20数日もつづき、寿太郎は、日本に少しでも有利な条件で講和がむすばれるように、全力をつくしました。しかし、戦争をつづける力がない日本を救うためには、ロシアの示す条件も受け入れて、調印を終えるよりしかたがありませんでした。

日本へ帰ってきた寿太郎は、国民から「国賊だ」「小村は腰ぬけだ」 と、ののしられました。国民は、政府や寿太郎の苦しみを知らなかったのです。寿太郎は、国の実情はけっして口にせず、なにひとつ、べんかいもしなかったということです。

寿太郎は、そのご、1910年の韓国併合にも努力し、明治時代の幕がおりる前の年に亡くなりました。まだ56歳でした。

以上の文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)33巻「牧野富太郎・豊田佐吉」の後半に収録されている14名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。

投稿日:2007年11月26日(月) 09:28

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)