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最新記事【2017年10月16日】


● 今日(10月16日)の主なできごと

1012年 藤原道長絶頂期の歌……藤原氏の全盛をきずいた道長は、「この世をば わが世とぞ思ふ望月の かけたることも なしと思へば」という有名な歌を作った。長女彰子(しょうし)を一条天皇の、次女妍子(けんし)を三条天皇それぞれの皇后にした。そして三女威子(いし)を後一条天皇の皇后にしたこの日の祝宴で、自分の栄華を満月にたとえたもの。

1813年 ライプツィヒの戦い……この日、ドイツ東部のライプツィヒで、ナポレオンの率いるフランス軍19万と、プロイセン・オーストリア・ロシア・オーストリア・スウェーデン連合軍36万が激突し、3日後にナポレオン軍が敗走。ナポレオンのドイツ支配が終わった。

1946年 ナチス戦犯の絞首刑……南ドイツの都市ニュルンベルクで行なわれた、第二次世界大戦中にドイツが行なった戦争犯罪を裁く国際軍事裁判(ニュルンベルク裁判)は、1日に最終判決がなされ、ヒトラーの片腕だった航空相ゲーリング、外相だったリッベントロップら12名は死刑をいいわたされていたが、この日11名が13階段を登って絞首台に立ち処刑された。(ゲーリングは処刑前日拘置所で服毒自殺)


● 今日の主な記念日・恒例日

世界食糧デー……1945年のこの日、国連食糧農業機関(FAO)が設立されたことを記念し、1981年に「開発途上国等での栄養失調や飢餓について考える日」として制定された国際デー。


● 今日生まれた人

1758年 ノア・ウェブスター……アメリカの言語学者・辞典編集者。『アメリカ英語辞典』の刊行で有名。「アメリカの学問・教育の父」

1819年 阿部正弘……江戸時代後期の福山藩主。江戸幕府老中首座として「安政の改革」断行。「日米和親条約」締結。

1840年 黒田清隆……幕末から明治期の軍人・政治家。第2代首相。戊辰・西南戦争で政府軍参謀。元老・枢密顧問官・逓信相・農商務相歴任。

1863年 チェンバレン……イギリスの政治家。「ロカルノ条約」締結に成功し、国際連盟を支持して軍縮に尽力するなど、ナチス台頭前の「平和」に貢献。


● 今日亡くなった人

669年 藤原鎌足……飛鳥時代の豪族・廷臣・藤原氏の祖。「大化の改新」を推進。

1793年 マリー・アントワネット……フランス国王ルイ16世の王妃。「フランス革命」中に刑死。

1883年 プチャーチン……ロシアの海軍将官。「日露和親・通商条約」締結使節。

1938年 野間清治……大正・昭和期の出版人。「講談社」創業。

1959年 マーシャル……アメリカの軍人・政治家。「マーシャル・プラン」を提唱。


● 過去のマイブログ「10月16日」のテーマ

2015年 「ロシアのペリー」 プチャーチン
ロシア帝国の遣日全権使節として、日露和親条約、日露修好通商条約を締結したプチャーチンが、1883年に亡くなった日です。1803年、ペテルブルク(今のサンクトペテルブルク)に生まれたエフィム・プチャーチンは、1822年に海軍兵学校を卒業し、海軍士官として多くの武功をたて、1842年に海軍少将となりました。この年、イギリスがアヘン戦争の末、清との間に……。

2014年 「マーシャルプラン」 のマーシャル
アメリカ陸軍参謀総長として第二次世界大戦を勝利に結びつけ、戦後の西ヨーロッパ復興に大きな貢献を果たした軍人・政治家のマーシャルが、1959年に亡くなった日です。1880年、ペンシルベニア州ユニオンタウンに生まれたジョージ・マーシャルは、1901年にバージニア陸軍仕官学校を卒業し、翌年陸軍に入隊しました。フィリピン勤務等を経て、1914年に第一次世界大戦が……。

2013年 「雑誌王」 野間清治
講談社の創業者で、国民各層にむけた雑誌を刊行し、昭和前期の出版界をけん引した野間清治(のま せいじ)が、1938年に亡くなった日です。1878年、群馬県新宿村(現在の桐生市)に教師の子として生まれた野間清治は、1895年に尋常小学校の代用教員となり、1896年群馬県立尋常師範学校(現在の群馬大学)に入学、1902年東京帝国大学文科大学(現在の東大)臨時教員養成所……。

2012年 「改新政治」 を推進した藤原鎌足
飛鳥時代の645年に始まった「大化の改新」に、中大兄皇子(天智天皇)の腹心として活躍し、藤原氏繁栄の基礎を築いた藤原鎌足(ふじわらの かまたり)が、669年に亡くなった日です。聖徳太子が40歳だった614年、大和国(奈良県)で生まれた鎌足のもとの姓は、中臣(なかとみ)です……。

2008年  悲劇の王妃マリー・アントアネット
フランス国王ルイ16世の王妃で、フランス革命の際に国外逃亡に失敗、1793年に38歳の若さで断頭台に消えた日です。1775年にオーストリアの女王の娘として生まれたアントアネットは、14歳で、フランスのルイ王子と結婚しました。愛情でむすばれたのではありません。フランスとオーストリアが手をむすぶために、ぎせいにされたのです。4年ののち、王子は国王ルイ16世……。

2007年  [おもしろ民話集 18] きつねとじいさま
むかし、頭がつんつるてんのじいさまがいました。ある秋の日のこと。すすきがいっぱいの野原を通りかかると、きつねが1ぴき、ススキのかげで遊んでいました。「よーし、あのきつねをつかまえてやれ」 じいさまは、そっと、うしろにまわって きつねのしっぽを、ひょいとつかまえました。ところがしっぽは、ブルンと手のあいだからぬけてしまいました。じいさまは、また、ひょい……。

2006年 「湯川秀樹」 のこども時代
秀樹少年は、考えながら遊ぶことが好きでした。幼いときは、とくに積木が好きでした。自分の考えで、自由にいろいろな形のものを作ることができたからです。小学校へあがると、自分の知らないことなら、どんなことにも興味をもつようになりました。「ふしぎだなあ」 「どうしてだろう」 と考えるのが楽しかったのです。小学校へあがるまえ……。
投稿日:2017年10月16日(月) 05:44

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)