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2017年版 3月2日はこんな日


● 今日(3月2日)の主なできごと

1840年 「遠山の金さん」町奉行に……江戸時代後期、老中の水野忠邦は、遠山左衛門尉景元(通称・金四郎)を江戸北町奉行に抜擢。その反骨精神は、のちに時代劇や芝居、テレビドラマなどに描かれ、お奉行でありながら「遊び人」に扮し、最後は背中の桜吹雪の刺青をお白洲で見せ、悪党に裁きを下すイメージを作りあげた。

1943年 野球用語の日本語化……太平洋戦争の激化に伴って「英語」は敵性語とされ、この日陸軍情報部は、日本野球連盟に対し、野球用語を日本語化するよう通達を出した。ちなみに、ストライクは「よし1本・よし2本」。三振は「よし3本、それまで!」、アウトは「よし、退(ひ)け!」、フォアボールは「一塁へ」などとなった。

1958年 南極大陸横断に成功……イギリスのフックス隊が、ウェデル海から南極大陸に上陸し、南極点を通ってロス海に到達するまで3360kmの行程を、99日間の苦しい旅の末に成功した。

1981年 中国残留孤児が初来日……中国残留日本人孤児とは、太平洋戦争末期、侵入してきたソ連軍などから逃れる途中に肉親と別ればなれになり、中国に置き去りになった子どもたちのこと。肉親を探すために、厚生省の招待で47名が、初めて公式に来日した。日本語を話せない人も多くいたが、16日までに29名の身元が判明。


● 今日の主な記念日・恒例日

ミニチュアの日……「ミ(3)ニ(2)」の語呂合せから、ミニカーなど、小さな物を愛する記念日。


● 今日生まれた人

1824年 スメタナ……チェコの作曲家。代表作『わが祖国』(第2曲目が「モルダウ」)『売られた花嫁』など。

1880年 米内光政……明治・大正・昭和期の海軍軍人・政治家。第37代首相。戦争終結・戦後処理に尽力。

1894年 オパーリン……ソ連の生化学者。生物の起源を科学的に解明。

1931年 ゴルバチョフ……ソ連の最高指導者。ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を断行。


● 今日亡くなった人

1930年 ローレンス……イギリスの小説家・詩人。代表作『チャタレイ夫人の恋人』など。

1955年 相馬黒光……明治・大正・昭和期の随筆家・実業家。中村屋を創業。

1972年 鏑木清方……明治・大正・昭和期の日本画家。代表作『朝涼』『墨田河舟遊』など。


● 過去のマイブログ「3月2日」のテーマ

2015年  「中村屋サロン」 の相馬黒光
1901年、夫愛蔵とともに「中村屋」を創業し、荻原碌山や中村彝(つね)ら芸術家に交流の場を提供したり、ボースら亡命者をかくまって保護するなど、人道主義的実業家として知られる相馬黒光(そうま こっこう)が、1955年に亡くなった日です。1876年、旧仙台藩士の子として仙台に生まれた相馬黒光(本名・良)でしたが、小学校にあがるころから家計が苦しくなり……。

2012年  「おもしろ古典落語」61回目  『山号寺号(さんごうじごう)』
一口に芸人といいましても、いろいろな種類があります。昔は幇間(ほうかん)という芸人がいました。俗に「太鼓持ち」という男の芸者で、芸者といっしょにお座敷にあがり、客を相手にいろいろな芸を披露しました。伊勢屋の若旦那が、上野広小路あたりを歩いていますと、ひいきの幇間の一八(いっぱち)に出会いました……。

2011年  『モルダウ』 のスメタナ
「ボヘミア音楽の父」といわれ、6つの交響詩からなる『わが祖国』(第2交響詩が『モルダウ』)や『売られた花嫁』などを遺したチェコの作曲家スメタナが、1824年に生まれた日です。チェコ西部にあるボヘミア地方のビール醸造技師の子として生まれたベドルジハ・スメタナは、子どもの頃から音楽の才能をあらわし、5歳の時に弦楽四重奏団に加わりました……。

2010年  冷戦を終結させたゴルバチョフ
ソビエト連邦(ソ連)最後の最高指導者となり、ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を進め、政治・経済・文化などの合理化・民主化を行って第2次世界大戦後の東西間の冷戦を終わらせたゴルバチョフが、1931年に生まれた日です。ミハイル・ゴルバチョフは、北カフカスのスタブロポリ地方の村にあるコルホーズ(協同組合形式による集団農場)で、……。

2009年  生命の謎を解明したオパーリン
生物の起源を科学的に説き明かしたソ連の生化学者オパーリンが、1894年に生まれた日です。地球上の生物は、初めは、どのようにして生まれたのだろうか……。「きっと、神さまがつくったのだ」 「いいえ、自然に生まれたのだ」 「そうではない、宇宙の、ほかの天体からとんできたのだ」。むかしから、地球上の人びとは、このように考えつづけてきました……。

2007年   無気力な子どもにしないために
[子どもの努力に評価を与えましょう]  無気力な子どもに共通するものがあります。それは、子どもの成績の結果ばかりを気にする母親の存在です。「こんな成績じゃダメじゃないの」 「こんな点数をとってきてダメじゃないの」 と。こんな叱られかたをした子どもは、その子なりに努力します。しかし、努力したからといって、かならずしもよい点数がとれるとはかぎりません……。
投稿日:2017年03月02日(木) 05:11

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)