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2017年版 2月12日はこんな日


● 今日(2月12日)の主なできごと

1603年 江戸幕府開かれる……1600年の関が原の戦いで勝利して全国を制覇した徳川家康は、この日征夷大将軍に任命され、江戸幕府が開かれた。

1912年 清朝の滅亡……中国清朝最期の皇帝である7歳の宣統帝・溥儀(ふぎ)が退位して、初代の太祖から12世297年にわたる清王朝の統治が終った。なお、溥儀は20年後、日本軍に満州国皇帝にされ、はかない役割をになわされた。その生涯は1987年公開の映画「ラストエンペラー」に描かれた。作品は第60回アカデミー賞作品賞を受賞。

1984年 植村直己消息不明……世界初の5大陸最高峰単独登頂をはたした冒険家の植村直己は、北アメリカ最高峰マッキンリーの初厳冬期登山に成功した翌日、消息を絶った。この日は、1941年の誕生日でもあった。


● 今日の主な記念日・恒例日

ペニシリンの日……1941年、イギリスのオックスフォード大学附属病院が、世界で初めてペニシリンの臨床実験に成功したことにちなんで制定。なおペニシリンは、フレミングが1928年に発見した世界初の抗生物質で、感染症の治療に大きく貢献。
 

● 今日生まれた人

1809年 リンカーン……アメリカの政治家。第16代大統領。「奴隷解放の父」。

1809年 ダーウィン……イギリスの博物学者。『種の起源』で「進化論」に「自然淘汰説」という新しい学説をとなえる。

1891年 直木三十五……明治・大正・昭和期の小説家。代表作『南国太平記』など。菊池寛は直木にちなみ、新人や中堅作家による大衆小説作家へ「直木賞」を設けた。

1905年 田辺茂一……昭和期の出版人・随筆家。紀伊国屋書店創業。

1912年 武田泰淳……昭和期の小説家・中国文学者。代表作『司馬遷』『ひかりごけ』『富士』『快楽』など。

1920年 山口淑子……昭和・平成期の女優・歌手・司会者・政治家。

1921年 大松博文……昭和期のバレーボール監督。「東洋の魔女」を指導。


● 今日亡くなった人

1804年 カント……ドイツの哲学者。代表作『純粋理性批判』など。最も影響力の大きな近代哲学者の一人。

1889年 森有礼……明治期の政治家・外交官・教育者。初代文相。 

1912年 ハンセン……ノルウェーの医学者。らい菌を発見。

1943年 倉田百三……大正・昭和期の劇作家・評論家。代表作『出家とその弟子』『愛と認識との出発』など。

1954年 本多光太郎……明治・大正・昭和期の物理学者。

1985年 国分一太郎……昭和期の教育評論家・児童文学者。

1996年 司馬遼太郎……昭和・平成期の小説家・文明批評家。代表作『梟の城』『国盗り物語』『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『街道をゆく』など。

2000年 シュルツ……アメリカの漫画家。代表作『ピーナツ』。


● 過去のマイブログ「2月12日」のテーマ

2015年 「スヌーピーの生みの親」 シュルツ
『ピーナツ』という空前の人気を誇る漫画を50年にもわたり連載し続け、世界じゅうで愛されるスヌーピー、チャーリー・ブラウン、ウッドストックなどのキャラクターを生み出したアメリカの漫画家シュルツが、2000年に亡くなった日です。1922年、ミネソタ州ミネアポリスに理髪師の子に生まれたチャールズ・シュルツは、やがて両親がセントポールに理髪店を開いたことで同地で育ちました。幼いころから漫画を描くのが大好きで、将来は漫画家になりたいと夢を見ていました……。

2014年 「綴り方教育」 の国分一太郎
『鉄の町の少年』『リンゴ畑の四日間』などを著した児童文学者で、作文教育に力をそそいだ教育実践家の国分一太郎(こくぶん いちたろう)が、1985年に亡くなった日です。1911年、現在の山形県東根市に床屋の子として生まれた国分一太郎は、1925年に山形県師範学校に入学すると、島木赤彦に傾倒して短歌を作りはじめ、村山俊太郎らと短歌同人誌『にひたま』をつくっています……。

2013年 「直木賞」 の直木三十五
直木三十五(なおき さんじゅうご)は、1891年に生れました。現在の大阪市中央区に生まれた直木(本名・植村宗一)は、父の反対を押しきって早稲田大学英文科予科に入学し、高等師範部英語科へ進学しました。学費が払えず中退しましたが、卒業記念撮影にちゃっかりもぐりこみ、その写真を卒業証書のかわりに父へ送ったというエピソードが残されています……。

2010年  ドイツ観念論哲学の父・カント
プロイセン王国(ドイツ)出身の哲学者、思想家として活躍し、最も影響力の大きな近代哲学者の一人といわれるカントが、1804年に亡くなった日です。18世紀後半のドイツ哲学は、考え方が固定され、独断主義とよばれていました。人間にそなわっている知性や能力を批判したり、疑ったりせず、そのままの純粋な思考だけで真理を発見できるという考え方です……。

2009年  世界に誇る物理学者・半太郎と光太郎
明治から昭和にかけて、日本の科学の基礎をきずき、長岡半太郎と並んでその力を世界に示した物理学者・本多光太郎が、1954年に亡くなった日です。長岡半太郎は、明治時代を迎える3年まえに肥前国(長崎県)で生まれ、やがて父が明治政府の役人になると、家族とともに東京へでて17歳で東京大学(のち帝国大学から東京帝国大学へ改名)の物理学科へ入学しました……。

2008年    しっかり挨拶のできる子に
ほとんど毎日のように顔を合わせる近くの家の子なのに、そして、こちらの顔は十分に知っているはずなのに、外で会った時、何の挨拶もしない。こちらが、わざと大きな声で 「おはよう」 「こんにちは」 といっても、仕方なしに小さな声でぶつぶつと、挨拶らしいことばをもらすだけで、はっきりこたえようとしない。今、こんな子どもが多すぎます……。
投稿日:2017年02月12日(日) 05:33

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)