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2017年版 2月4日はこんな日


● 今日(2月4日)の主なできごと

1604年 一里塚の設置……江戸幕府は、日本橋を起点とする東海道・中山道・甲州街道・日光・奥州街道に一里塚を設置するように指令。一里塚は一里(3927m)ごとに、土を盛り上げた塚をつくり、榎などの木を植えて木陰で旅人が休息を取れるように配慮したもので、大久保長安に指揮させ、10年ほどで完了させた。

1703年 赤穂浪士の切腹……前年末、「忠臣蔵」として有名な赤穂浪士46名が、吉良義央(よしなか)邸に討ち入り、主君浅野長矩(ながのり)のあだ討ちをしたことに対し、江戸幕府は大石良雄(内蔵助)ら赤穂浪士46名に切腹を命じた。

1945年 ヤルタ会談……第2次世界大戦でドイツの敗戦が決定的になったことで、ソビエトのクリミヤ半島にあるヤルタに、アメリカ合衆国大統領ルーズベルト、イギリス首相チャーチル、ソ連首相スターリンの3国首脳が集まって、「ヤルタ会談」がはじまった。

1966年 全日空羽田沖墜落事故……札幌を飛び立った全日空のボーイング727型旅客機が、着陸間際に東京湾へ墜落し、乗客・乗組員133人全員死亡。


● 今日の主な記念日・恒例日

世界対がんデー……2000年の「対がん同盟結成を呼びかけるパリ憲章」を基に、国際対がん連合が2002年から実施。
 

● 今日生まれた人

1860年 安部磯雄……明治・大正・昭和期の社会運動家・政治家。

1960年 白鳥庫吉……明治・大正・昭和期の東洋史学者。アジア諸民族間相互の関係を明確にする。

1890年 三上於菟吉……大正・昭和期の小説家。代表作に『雪之丞変化』など。

1898年 伊東深水……大正・昭和期の日本画家。美人画を得意とする。

1902年 リンドバーグ……アメリカの飛行家。大西洋無着陸飛行に初成功。


● 今日亡くなった人

1181年 平清盛……平安時代末期に、「平氏」の全盛を築いた武将。

1918年 秋山真之……明治期の海軍軍人。日露戦争の勝利に貢献。

1928年 ローレンツ……オランダの理論物理学者。ローレンツ変換などに名を残し、相対性理論の先駆。

1943年 林銑十郎……大正・昭和初期の軍人政治家。


● 過去のマイブログ「2月4日」のテーマ

2014年 「日本海海戦」 と秋山真之
日露戦争の勝利に深くかかわった海軍軍人の秋山真之(あきやま さねゆき)が、1918年に亡くなった日です。1868年、松山藩・下級武士の5男として生まれた秋山真之は、幼少の頃から漢学塾に学ぶとともに、親友の正岡子規と和歌にも親しみました。子規の上京に刺激され、旧制愛媛第一中学を中退し、1883年に兄好古(よしふる)を頼って上京すると、子規と東京・神田に下宿しながら大学予備門(のちの一高、現・東大教養学部)に入学します……。

2013年 「越境将軍」 林銑十郎
大正・昭和初期に軍人政治家だった林銑十郎(はやし せんじゅうろう)が、1943年に亡くなった日です。1876年、旧加賀(石川県)藩士の子として生まれた林銑十郎は、1894年に日清戦争がおきると、旧制四高(現・金沢大)を中退し、陸軍士官学校に入校しました……。

2011年 「おもしろ古典落語」7回目 『猫(ねこ)の皿(さら)』
田舎を歩き回って、骨とうの掘り出し物を見つけては安く買いたたき、江戸の好事家へ高く売る、[果師(はたし)] という商売人がありました。ある果師が、とある川岸の茶店で休んでいて、何気なく土間を見ると、猫が飯を食べています。猫自体はどこにもいるようなものですが、皿を見て果師は、内心驚きました。「絵高麗の梅鉢の皿」といって、安く見積っても三百両は下らないという代物。とても猫に飯をあてがうような皿ではありません……。

2010年  ヤルタ会談
第2次世界大戦でドイツの敗戦が決定的になった1945年のこの日、ソビエトのクリミヤ半島にあるヤルタに、アメリカ合衆国大統領のルーズベルト、イギリス首相のチャーチル、ソビエト連邦(ソ連)首相のスターリンの3国首脳が集まって、ヤルタ会談がはじまりました。ソ連は、1944年の5月までに自国の領土からドイツ軍を追い払ってドイツ軍を追って西へ進撃し、ポーランドなど東ヨーロッパの国々を次々に解放していきました……。

2009年  平氏の全盛期を築いた平清盛
平安時代末期の武将で「平氏にあらざれば人にあらず」といわれる時代を築いた平清盛(たいらの きよもり)が、1181年に亡くなった日です。清盛の最期は「平家物語」でも優れた記述として有名なところ、熱病に侵された清盛は、比叡山の井戸の水で満たされた桶の中に身を沈めると、たちまち水が沸きあがり、身体に水をかけると炎となって燃え上がったと綴られています……。

2008年  恐い母親への不信
子どもが 「ねえお母さん、いっしょに遊ぼうよ」 というと、「お母さんはいま忙しいの。一人で遊びなさい」 と答える。「ねえ、お母さん、本読んで」 と言うと 「後で」 と答えてしまう。「ねえお母さん、今日、学校でね……」 と話しかけようとすると、「なーに、忙しいから早くおっしゃい」 という……。
投稿日:2017年02月04日(土) 05:15

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)