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2017年版 1月18日はこんな日


● 今日(1月18日)の主なできごと

1467年 応仁の乱勃発……室町幕府の執権を交代で行なっていた斯波、細川と並ぶ三管領の一つである畠山家では、政長と義就(よしなり)のふたりが跡目争いをしていた。この日、義就の軍が政長の軍を襲い、「応仁の乱」のキッカケとなった。将軍足利義政の弟義視と、子の義尚の相続争い、幕府の実権を握ろうとする細川勝元と山名宗全、それぞれを支援する全国の守護大名が入り乱れる11年にも及ぶ内乱となり、京の町を焼きつくしていった。

1657年 明暦の大火……江戸時代最大級の大火事で、江戸城の天守閣をはじめ江戸市街の6割以上が焼け、10万8千人が焼死した。本郷にある寺で振袖供養の最中に、振袖を火の中に投げこんだ瞬間におきた突風で火が広がったことから「振袖火事」ともいわれる。

1912年 スコット南極点到達……20世紀初頭、多くの探検隊が南極点をめざして競いあっていた。イギリスの探検隊長スコットらが南極点に到達したものの、そこに1か月前に到達したノルウェーのアムンゼン隊が残した国旗が翻っていた。こうして歴史には、アムンゼンの名が刻まれ、失意のスコット隊は帰路全員死亡してしまった。

1919年 パリ講和会議……第1次世界大戦後の講和会議が、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、日本の5か国が参加してパリで開催。講和条約の調印式がベルサイユ宮殿で行われたことから、ベルサイユ会議とも呼ばれている。この条約により国際連盟が成立することになったものの、莫大な賠償金を強いられたドイツは経済破綻をおこし、ナチス党がおこるきっかけとなった。

1952年 李承晩ライン……韓国初代大統領の李承晩は、日本の主権回復を承認するサンフランシスコ平和条約発効を目前としたこの日、「海洋主権宣言」を発して「李承晩ライン」を設定。海洋資源の独占、島根県の竹島を取りこむなど領土拡張を目的として、日本海・東シナ海に従来よりも日本寄りの海域を軍事境界線とすることを一方的に宣言。これは、1965年6月「日韓漁業協定」が締結されるまで続いたことで、日本漁民は、韓国警備艇による射殺、拿(だ)捕、抑留、餓死という苦しみを味わった。「竹島」領有権問題は、いまだに両国間でくすぶり続けている。


● 今日の主な記念日・恒例日

都バス記念日……1924年のこの日、東京市営乗合自動車が営業開始したことから、東京都交通局が制定。

初観音……毎月18日は観音菩薩の縁日で、1年で最初の縁日を「初観音」とよぶ。

ナンバー2悲劇の日……スコット隊の悲劇にちなんで制定。
 

● 今日生まれた人

885年 醍醐天皇……平安時代中期の60代天皇。菅原道真、藤原時平を登用し「延喜の治」といわれる積極的政治を展開。在位中に『古今和歌集』編さん。

1689年 モンテスキュー…フランスの法学者・啓蒙思想家。代表著作『法の精神』。

1867年 宮武外骨……明治・大正・昭和期のジャーナリスト。「滑稽新聞」創刊、明治文化史・新聞雑誌研究家として知られる。

1880年 ミルン……イギリスの児童作家・詩人・劇作家。代表作『くまのプーさん』シリーズなど。

1889年 石原莞爾……昭和期の軍人。1931年「満州事変」首謀者の一人。

1894年 高群逸枝……女性解放運動家・詩人。女性史の研究に没頭し、女性史学を確立。


● 今日亡くなった人

1936年 キップリング……イギリスの作家・詩人。代表作『ジャングル・ブック』ほか。

1943年 大原孫三郎……大正・昭和期の実業家。倉敷紡績など「大原財閥」発展させ、大原美術館を創設。

1957年 牧野富太郎……明治・大正・昭和期の植物学者。採集した植物標本は50万点以上。代表作『牧野日本植物図鑑』など。


● 過去のマイブログ「1月18日」のテーマ

2013年 「おもしろ古典落語」102回目 『藪入(やぶい)り』
昔、世の中がまずしかったころ、男の子は小学校を終えると、たいていは奉公に出されました。商店の小僧として住みこむのが常で、休日は、「藪入り」という正月とお盆の16日、年に2回というのが普通でした。それも奉公に出て、3年間くらいは里心がつくというので、自分の近所へのお使いでも、他の小僧をやるようにされたので、親子は、やっと3年目にして口が聞けるという、そんな時代のお話です……。

2012年 「大原美術館」を創設した大原孫三郎
倉敷紡績(クラボウ)をはじめ、電力会社、病院、銀行等さまざまな会社の社長をつとめ、「大原財閥」を築き上げた実業家の大原孫三郎(おおはら まごさぶろう)が、1943年に亡くなった日です。1880年、岡山県倉敷市の大地主で倉敷紡績を創業した大原孝四郎の3男として生まれた孫三郎は、2人の兄が相次いで夭折したため、大原家のあと取りを期待されました……。

2011年  まんじゅうこわい
「寿限無(じゅげむ)」と並んで、もっとも人気の高い落語のひとつ「饅頭(まんじゅう)怖い」というばかばかしい「お笑い」を一席。暇をもてあました若者数人が集まって、それぞれ嫌いなもの、怖いものをいいあっていきます。皆んなで、「青大将(ヘビ)」「クモ」「アリ」などといっている中にひとり、「いい若い者がくだらないものを怖がるとは情けない、世の中に怖いものなぞあるものか」とうそぶくのが、普段から、飲み屋の割り前は払わない、けんかは強いからかなわない、という嫌われ者の「松」……。

2010年 「法の精神」 のモンテスキュー
司法・行政・立法という政治の三権分立を説いたフランスの法理学者モンテスキューが、1689年に生まれた日です。ヨーロッパは、暗く重苦しい封建社会から、ようやく脱け出そうとしていました。経済の進んでいたイギリスでは、どの国よりも早く市民革命がおきました。同時に合理的な物の見方、考え方が生まれ、周囲の国ぐにを刺激しました。そして、フランスにも新しい精神が芽生えるようになりました……。

2008年  民間の大植物学者・牧野富太郎
明治・大正・昭和の3代にわたり、植物採集や植物分類などの研究に打ちこんだ牧野富太郎が、50万点にものぼる押し花や押し草などの標本と20数巻の書物を残し、1957年に94歳で亡くなった日です。日本の山や野原にはどんな草や花があるのか、80年以上ものあいだ、それを集めたり、絵にかいたり、調べたりしたのが牧野富太郎という人です……。

2007年  耐える心をそなえた子どもに
「小学生になる前後」 (岡本夏木著・岩波書店刊) のなかに、5、6歳に対するしつけについての、すばらしい例がおさめられています。ある家が遠くへ引っこしするとき、家で飼っていたイヌをどうするかが問題になりました……。

2006年  レディバードブックス特選100点セット
英国レディバード社とのタイアップ企画の第3弾は、1987年に刊行した「レディバードブックス特選100点セット」だった。レディバード原書絵本100冊に、それぞれの日本語全訳をつけた。さらに、当時レディバード社は、ピックウィックという音響メーカーとタイアップして、レディバードブックスの主な絵本を朗読したカセットテープとセットした商品の販売をしており、選定した100冊のうち、カセットテープがついていた80点を添付しての構成だった……。
投稿日:2017年01月18日(水) 05:02

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)