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2016年版 11月1日はこんな日


● 今日(11月1日)の主なできごと

643年 蘇我入鹿 山背大兄王を襲う……蘇我入鹿は、聖徳太子の子山背大兄王(やましろのおうえのおう)を襲って自害に追い込み、強大な権力をにぎった。

1928年 「ラジオ体操」放送開始……昭和天皇即位の大礼記念行事として、ラジオ体操の放送を開始した。

1974年 アメダス運用開始……全国約1300か所に無人自動観測所をおいて雨量を観測するシステム(アメダス)の運用を開始した。これにより、集中豪雨などの異常気象の監視や、気象予報技術が向上した。


● 今日の主な記念日・恒例日

灯台記念日……1869年のこの日、神奈川県横須賀市にわが国初の洋式灯台である観音埼灯台が起工されたことにちなみ、海上保安庁が1949年に制定。

計量記念日……通商産業省(今の経済産業省)が、1993年に「新計量法」の施行にともなって記念日とした。計量思想の向上、普及に関する行事や表彰が行われる。

点字記念日……1890年のこの日、日本点字選定会が石川倉次の考案した日本語用の点字を正式に採用したことにちなんで制定。

その他の記念日……「自衛隊記念日」「犬の日」「川の恵みの日」「すしの日」「紅茶の日」などがある。


● 今日生まれた人

1847年 中江兆民……明治期の思想家・評論家。自由民権思想を広めた。

1880年 ウェゲナー……ドイツの地理物理学者。「大陸移動説」を提唱。

1886年 萩原朔太郎……大正・昭和期の詩人。代表作 詩集『月に吠える』『青猫』『純情小曲集』など。「日本近代詩の父」

1931年 いかりや長介……昭和・平成期のコメディアン・俳優。「ザ・ドリフターズ」リーダー。


● 今日亡くなった人

1709年 坂田藤十郎 (初代)……江戸時代前・中期の歌舞伎役者。上方歌舞伎の始祖。


● 過去のマイブログ「11月1日」のテーマ

2013年ブログ 「希代の名人」 坂田藤十郎
江戸時代中期「元禄時代」を代表する名優で、江戸の市川団十郎とともに歌舞伎を隆盛させた上方歌舞伎の始祖とされる坂田藤十郎(さかた とうじゅうろう)初代が、1709年に亡くなった日です。1647年、芝居の座元(興行師)だった坂田市右衛門の子として京都に生まれた坂田藤十郎は、幼いころから演劇に親しむ環境に育ち、1676年に京都万太夫座で初舞台をふみました……。

2012年ブログ  [おもしろ民話集 60] わらしべ長者
昔むかしあるところに、朝から晩まで働いても働いても、暮らしに困る若者がいました。ある日のこと、若者は、頼みごとをよく聞いてくれるという観音さまに助けてもらおうと、はるばるお参りにでかけました。いいかげんなお参りでは、望みはかなえてくれないと聞いていたので、まる十日間、いっしんにお祈りを続けました。すると、十日目に、お堂の奥からこんな声が聞こえました。「おまえが貧しいのは……。

2011年ブログ 悲劇の山背大兄王
「大化改新」のはじまる2年前の643年、蘇我入鹿(そがのいるか)が、聖徳太子の息子である山背大兄王(やましろのおおえのおう)を自害させる事件がおきた日です。聖徳太子が亡くなって約20年後、蘇我入鹿は古人大兄皇子(ふるひとのおうえのおうじ)を独断で次期天皇にしようと企て、その対抗馬とされる山背大兄王を武力で排除しようと、巨勢徳太(こせのとくだ)らに命じて……。

2010年ブログ 「大陸移動説」 のウェゲナー
地球上の大陸は一つの大きな大陸が分裂・移動して生まれたという「大陸移動説」を発表したドイツの地理物理学者ウェゲナーが、1880年に生まれた日です。ベルリンに生まれたアルフレッド・ウェゲナーは、ベルリン大学、ハイデルベルク大学で天文学、気象学を学び、リンデンブルク航空気象台に勤務後、ハンブルクのドイツ海洋気象台を経て、ハンブルク大学とグラーツ大学の教授になりました……。

2006年ブログ 「ケネディ」 のこども時代
小学生のころのケネディは、偉人の伝記を読んだり、国の歴史の本を読んだりして、ひとりで静かに考えてすごすのがすきでした。しかし、負けん気は人いちばいつよく、ふたつ年上の兄とレスリングやボクシングをしては、負けても、負けても、兄にむかっていきました。ふたりが、公園の広場をそれぞれ反対に走って1周してくる自転車競走では、死にものぐるいにペダルをふんで、ついにゴールで……。

2005年ブログ 驚くべき規模の「広州交易会」
中国の「広州交易会」は、毎年4月と10月に開催され、今回は98回目。欧米では「広東フェア」の通称で呼ばれている。中国全土から数千社の、輸出を目的としたあらゆる製品、商品が出品される。展示面積は27万u以上(東京ドームの約6倍)、年2回の会期中の成約額は中国全体の輸出額の1割を越え、3兆円以上といわれる。そのため、世界200ヶ国15万人以上のバイヤーが訪れ、そのうちの約4%が日本人だという……。
投稿日:2016年11月01日(火) 05:48

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)