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2016年版 10月5日はこんな日


● 今日(10月5日)の主なできごと

1274年 文永の役……元(今の中国)の皇帝フビライは日本を属国にしようと、2万人の軍隊と朝鮮(高麗)軍1万5千人を率いて対馬を占領後、博多に上陸した。しかし、おりからの嵐にあって朝鮮へ引き上げた。1281年にも再上陸(弘安の役)を企てるが、このときも嵐にあって失敗。この2度にわたる元の襲来を「元寇(げんこう)」とよび、人々はこれを「神風が吹いた」と語りついできた。

1392年 南北朝が合一……北朝と南朝に分かれて対立していた朝廷だったが、「明徳の和約」によって交互に天皇を出すことを約束、50年にわたる南北朝の争いを終えた。

1938年 河合栄治郎の著書発禁……この日、東大の経済学部の教授で「自由主義者」として知られ、ファッシズム批判を続ける河合栄治郎の著書『ファッシズム批判』『時局と自由主義』など4冊の著書が発売禁止となった。


● 今日の主な記念日・恒例日

時刻表記念日……1894年のこの日、日本初の本格的な時刻表『汽車汽船旅行案内』が出版されたのにちなんで制定。イギリスの時刻表を参考に、発車時刻や運賃のほか、沿線案内や紀行文なども掲載されていた。


● 今日生まれた人

1713年 ディドロ……フランスの思想家・文学者。ダランベールとともに「百科全書」編纂。

1773年 徳川家斉……江戸幕府第11代将軍。松平定信を老中首座に任命し「寛政の改革」を推進。

1864年 ルイ・リュミエール (弟)……フランスの発明家。兄(オーギュスト)と映写機発明。「映画の父」

1865年 福田(影山)英子……明治・大正期の婦人解放運動家。

1882年 ゴダード……アメリカの物理学者。「ロケットの父」


● 今日亡くなった人

528年 達磨……「七転び八起」のことわざでおなじみのダルマさんのモデルとなった中国禅宗の開祖

1938年 高村智惠子……昭和期の洋画家。高村光太郎の妻で、詩集『智恵子抄』で知られる。多くの「切り絵」を残す。

1948年 大谷光瑞……明治・大正・昭和期の僧侶。中央アジア探検家。

1976年 武田泰淳……昭和期の小説家・中国文学者。代表作『司馬遷』『才子佳人』『ひかりごけ』など。

1996年 シーモア・クレイ……アメリカの電子技術者。「スーパーコンピュータ」生みの親。

2002年 三鬼陽之助……昭和・平成期の経営評論家。雑誌「財界」創刊。「財界の御意見番」

2011年 スティーブ・ジョブズ……アメリカの経営者。「アップルコンピュータ」創業。

2014年 大山勝美……昭和・平成期のテレビプロデューサー・演出家。代表作『岸辺のアルバム』『想い出づくり』『ふぞろいの林檎たち』など。


● 過去のマイブログ「10月5日」のテーマ

2015年ブログ 「大いなる駄々っ子」 大谷光瑞
3度にわたる中央アジア探検を試み、仏教的アジア主義を提唱した浄土真宗西本願寺第22世法主(ほっす)の大谷光瑞(おおたに こうずい)が、1948年に亡くなった日です。1876年、第21世大谷光尊の長男として京都に生れた大谷光瑞は、1886年に上京して学習院に入学するものの3年余りで中退、神田の英学校に学ぶもまた中退して京都へもどると、教内外の学者からの個人教授と独学により、広い教養を身につけました……。

2012年ブログ 『智恵子抄』 と高村智恵子
詩人の高村光太郎と結婚し、光太郎の詩集『智恵子抄』や「切り絵」を残した洋画家の高村智恵子(たかむら ちえこ)が、1938年に亡くなった日です。1886年に、福島県二本松市の酒造業を営む家に生れた長沼智恵子は、福島高等女学校を卒業後に日本女子大学に入学しました。油絵に興味を持つようになり、1907年に大学を卒業した後は、洋画家の道を選んで東京に残り、太平洋画会研究所で学び……。

2011年ブログ 『百科全書』 のディドロ
フランスの啓蒙思想家で、「フランス革命」にも大きな影響を与えた『百科全書』を編集したディドロが、1713年に生まれた日です。シャンパーニュ地方ラングルの裕福な刃物師の息子として生まれたドゥニ・ディドロは、イエズス会の学校で学んだ後、パリ大学に学び、優秀な成績を修めました。法律家をめざしましたが……。

2010年ブログ ダルマさん
「七転び八起」のことわざでおなじみのダルマさんのモデルとなった中国禅宗の開祖・達磨(だるま)が、528年に亡くなったとされる日です。達磨は、5世紀から6世紀にかけての人だという以外、生まれた年も死んだ年もはっきりしません。確かな記録がないので、どのような人生を送ったのかほとんど不明です。禅を広めるために、中国へやってきた達磨は、遠いインドの人でした。禅とは、仏教の教えの1つで……。

2007年ブログ ファッシズムと戦った河合栄治郎
1938年のこの日は、東大の経済学部の教授だった河合栄治郎の著書「ファッシズム批判」など4冊の著書が発売禁止になった日です。河合栄治郎は自ら、資本主義を無条件に肯定する(第1期自由主義)から、資本主義の弊害を改良する(第2期自由主義)、さらにこれをしのぐ「第3期自由主義者」と称していました。この考えは、個々人の人格の成長に最も高い価値をおき、それが社会全体に広がった「理想的社会」の建設にあると説きます……。

2006年ブログ 「間宮林蔵」 のこども時代
林蔵は、貧しい農家に生まれましたが、幼いころから 「人のために、りっぱな仕事をする人間になりたい」 と、思っていました。12歳のときのこと、村の人たちにつれられて筑波山へ行きました。すると、夜中に、旅館は大さわぎになりました。林蔵が、いなくなってしまったのです。みんなは、夜、外へでて、てんぐにでも、さらわれたのではないかと心配しました。ところが、朝になると……。

2005年ブログ 「伝記」 は子どもたちになぜ必要なのか (1)
「せかい伝記図書館」(36巻)には、およそ100名の伝記を収録した。そして、登場するすべての伝記はそれぞれ14ページ分としてコンパクトにまとめられている。したがって、どんなに忙しい両親でも、1日に15分程度の時間を見つけてくれれば、1人の伝記を読むことができる。子どもたちに読ませるだけでなく、両親にも読んでもらい、家族ぐるみで読後感を語りあうようにしたい……。
投稿日:2016年10月05日(水) 05:48

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)