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2016年版 9月12日はこんな日


● 今日(9月12日)の主なできごと

1571年 延暦寺の焼き討ち……織田信長は、比叡山延暦寺を攻め、堂塔を焼き払い、僧徒らを皆殺しにした。領地をめぐる確執から、近江の浅井氏、越前の朝倉氏の軍勢を延暦寺が受け入れたこと、延暦寺が広大な寺領を誇り、大勢の僧兵をかかえて信長に反抗的だったのが原因だった。

1872年 新橋─横浜間に鉄道開通……新橋と横浜をむすぶ約29kmでわが国初の鉄道が開通、この日明治天皇を乗せた祝賀列車が走った。翌日から旅客や貨物の輸送がはじまり、これまで1日かかったところを53分に短縮した。上り下り共毎日8往復、料金は1円42銭5厘、75銭、37銭5厘の3階級だった。

1940年 ラスコーの壁画発見……フランスの子ども4人が遊んでいるうち偶然に発見。洞窟の側面と天井面には、たくさんの馬や山羊、野牛、鹿などの絵があり、旧石器時代後期(1万5000年ほど前)のクロマニョン人によって描かれたものと推定されている。


● 今日の主な記念日・恒例日

宇宙の日……1992年、毛利衛さんがアメリカのスペースシャトル「エンデバー」で宇宙へ飛び立ったことから、科学技術庁(今の文部科学省)と文部省宇宙科学研究所が、一般公募により制定した。

マラソンの日……紀元前(BC)450年のこの日、ペルシャの大軍がアテネを襲いマラトンに上陸したのを、アテネの名将ミルティアデスの奇策でこれを撃退。このことをフェイディピデスという兵士が伝令となってアテネの城門まで走り、アテネの勝利を告げたまま絶命したといわれる故事にちなむ記念日。1896年、アテネで第1回オリンピックが開かれた際、この故事をしのび、マラトンからアテネ競技場まで、初のマラソン競争が行われた。


● 今日生まれた人

1494年 フランソワ1世……フランス・ルネサンス期を代表する国王で、レオナルド・ダ・ヴィンチらの芸術家を保護したことで知られる。

1876年 相馬黒光……明治・大正・昭和期の随筆家・実業家。荻原碌山、中村彝、高村光太郎らに「中村屋サロン」を提供、インド独立運動の志士ボースらを保護。

1894年 徳田球一……大正・昭和期の政治家。非合法時代の日本共産党活動家で投獄18年、戦後初代書記長。

1913年 豊田英二……昭和・平成期の実業家。トヨタ自動車初代社長。


● 今日亡くなった人

1821年 塙保己一……江戸時代中・後期の国学者。盲目でありながら、古い文献を集大成した『群書類従』を著す。

1874年 ギゾー……フランスの歴史家・政治家。

1921年 大江卓……幕末の土佐藩士、明治・大正期の政治家・実業家・社会運動家。

1985年 源氏鶏太……昭和期の小説家。代表作『英語屋さん』『三等重役』など。


● 過去のマイブログ「9月12日」のテーマ

2014年ブログ 「被差別民解放」 に努めた大江卓
「マリア・ルス号」の摘発と清国人奴隷232人の解放など、政治家・実業家・社会運動家として活躍した大江卓(おおえ たく)が、1921年に亡くなった日です。1847年、土佐国(今の高知県)宿毛に代官の子として生まれた大江卓は、長崎で洋式兵銃の修行したのち京に出て、1867年土佐陸援隊に入り倒幕運動に加わったことで、坂本龍馬、中岡慎太郎、陸奥宗光らと知り合いました。翌1868年1月の鳥羽・伏見の戦いの際には天皇の側に仕える侍従として……。

2013年ブログ 「おもしろ科学質問箱 28」 星座(せいざ)ってなーに?
大むかしから、世界じゅうの人々が、さまざまに並ぶ夜空の星をながめながら、いくつかの星のグループに名前をつけたのが星座のはじまりです。いま私たちが呼んでいる星座の名は、古代バビロニア人が、動物や神話に出てくる女王や英雄の名にして呼んでいたのを、古代ギリシャ人が多くを受けつぎ、150年ごろにアフリカ北部アレキサンドリアの天文学者プトレマイオス(トレミー)が、48個にまとめあげました。でも、それだけでは……。

2012年ブログ 歴史家で政治家のギゾー
歴史家として『ヨーロッパ文明史』などを著わし、フランス「七月王政」期には主導的政治家として活躍したギゾーが、1874年に亡くなった日です。1787年、フランス南部の都市ニームに生れたフランソワ・ギゾーでしたが、8歳のときに、弁護士だった父親が「フランス革命」に巻きこまれてギロチンで死刑に処されてしまいました。父親との連座をおそれた母親は、ギゾーを連れてスイスのジュネーブに逃れました。やがてフランスがナポレオン時代に……。

2011年ブログ 「獄中18年」 の徳田球一
戦前に共産党が非合法の時代に18年も投獄され、戦後に初代日本共産党書記長を務めた徳田球一(とくだ きゅういち)が、1894年に生まれた日です。徳田は、沖縄県名護市に生まれ、苦学して日本大学の夜間部を卒業し、弁護士になりました。1920年、日本社会主義同盟に加わり、ソ連から帰国後の1922年、非合法の日本共産党(第一次共産党)結成に参加して中央委員として活躍。逮捕されるものの、堺俊彦や山川均らが党を解党することに反対し……。

2008年ブログ 盲目の国学者・塙保己一
江戸時代の後期に国史や国文学を研究する「和学講談所」を開いて門人を育て、「群書類従」という、わが国有史以来の文献のうち価値ある研究資料3373点を25部門に分類した叢書を著した、盲目の国学者塙保己一(はなわ ほきいち)が、1821年に亡くなった日です。わが国の盲人は、世の中ではあまり活躍する場が開かれていません。幼少の頃から視力が弱く、5歳のころに失明した塙保己一もまた、琵琶を弾く腕をみがいて音曲のわざで身を立てるか……。

2007年ブログ ピーターラビットの「ミス・ポター」 ロードショー公開
世界中で愛されているコンパクト判絵本「ピーターラビット」シリーズ23点の生みの親ビアトリクス・ポターの自伝映画「ミス・ポター」が、9月15日から、日劇3ほか全国東宝洋画系約300館でロードショー公開されます。あらすじは、次の通りです。1902年のロンドン。上流社会の女性が仕事を持つことなどあり得なかったビクトリア朝の時代に、絵本作家をめざした32歳の上流階級育ちの独身女性ビアトリクス・ポターは、ピーターラビットを描いたスケッチブックを片手にさまざまな出版社に売りこみをしますが、断られ続けます……。

2006年ブログ 「日蓮」 のこども時代
幼いころの日蓮は、農業のかたわら漁師をしていた父から、いろいろなことを教わりながら成長しました。とくに、仏教の話をたくさん聞いて育ちました。そして、12歳のころになると、2つの大きな疑問をいだくようになっていました。「源氏と平氏の壇ノ浦の合戦では、天皇が海に身を投げられた。それから36年後の承久の乱では、3人の上皇が島流しにあわれた。日本は仏教がさかんなのに、だれもが仏教を信仰するのに、どうして、こんなことがおこるのだろう……。

2005年ブログ 4冊の「かがくしつもんばこ」
さまざま研究結果によると、[学習意欲にかげりのある子どもは、幼児期にある質問期を、うまく乗りきれなかったことによって生まれる] という。またある心理学者は、子どもの伸びようとする知能の芽を刈りとってしまうと、一生知能の低いボンヤリした人間になってしまうと指摘している。わかったという満足感、知ったという喜びこそ、学ぶことへの前向きの心を育てるのだ。子どもの質問は、知能がどんどん発達して、ものごとに強い興味をひかれている証拠なのだから……。
投稿日:2016年09月12日(月) 05:36

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)