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2016年版 8月31日はこんな日


● 今日(8月31日)の主なできごと

1957年 マラヤ連邦独立……19世紀後半からイギリスの支配下にあったマラヤは、マラヤ連邦としてこの日、独立宣言をした。なお、マラヤ連邦は、1963年にイギリス保護国だった北ボルネオ他と統合し「マレーシア」となった。

1997年 ダイアナ妃交通事故死……イギリスの元皇太子妃ダイアナが、パリ市内で不慮の交通事故で亡くなった。


● 今日の主な記念日・恒例日

野菜の日……「や(8)さ(3)い(1)」の語呂合せから、全国青果物商業協同組合連合会など9団体が1983年に制定。


● 今日生まれた人

1832年 ワーグマン……イギリスの漫画家。幕末に来日し、日本初の漫画雑誌『JAPAN PUNCH』を創刊。

1870年 モンテッソーリ……イタリアの医師・教育家。「モンテッソーリ教育法」開発。

1878年 鏑木清方……明治・大正・昭和期の日本画家。代表作『朝涼』『三遊亭円朝像』『一葉像』など。

1931年 高橋和巳……昭和期の小説家・中国文学者。代表作『悲の器』『邪宗門』など。


● 今日亡くなった人

1867年 ボードレール……フランスの詩人。代表作『悪の華』『パリの憂鬱』など。

1913年 ベルツ……ドイツ人医師。「日本医学の恩人」

1963年 ブラック……フランスの画家。代表作『レスタックの風景』『桃と洋梨と葡萄のある静物』など。

1973年 ジョン・フォード……アメリカの映画監督。代表作『駅馬車』『怒りの葡萄』『わが谷は緑なりき』『静かなる男』など。

1986年 ヘンリー・ムーア……イギリスの彫刻家。

1997年 ダイアナ……イギリスの元皇太子妃。ウィリアム王子・ヘンリー王子の実母。


● 過去のマイブログ「8月31日」のテーマ

2015年ブログ  『横たわる人体』 のヘンリー・ムーア
20世紀のイギリスを代表する芸術家・彫刻家のヘンリー・ムーアが、1986年に亡くなった日です。1898年、北イングランドのヨークシャーに貧しい炭鉱夫の子として生まれたヘンリー・ムーアは、中学時代に粘土や木による造形を美術教師にほめられたのがきっかけになって、彫刻家になる決心をしました。しかし、両親は彫刻を手工業的な労働として評価しませんでした……。

2012年ブログ 現代絵画の先駆者ブラック
ピカソとともに「キュービズム」(立体派)の創始者といわれるフランスの画家ブラックが、1963年に亡くなった日です。1882年パリ郊外にあるセーヌ川沿いの町アルジャントイユで生まれたジョルジュ・ブラックは、ル・アーブルで育ち、少年時代は家業のペンキ屋・装飾画家の見習いをしながら、1897年ころから2年間美術学校の夜学で絵を学びました。1900年、装飾画家としての資格を得ようとパリに出ると……。

2011年ブログ 「フランス近代詩の父」 ボードレール
フランスの詩人・批評家のボードレールが、1867年に亡くなった日です。1821年パリに生まれたシャルル・ボードレールは、6歳のとき父が亡くなり、母はのちに将軍となる軍人と再婚しました。ボードレールは、母を奪われた悲しみから義父とは仲が悪く、孤独な少年時代を送りました。中学時代は、ラテン後の詩作や翻訳に優れ、全国コンクールに入賞するほどの能力を発揮しましたが……。

2010年ブログ 日本近代医学の恩人・ベルツ
明治時代初期に日本に招かれたドイツ人医師で、26年にわたって医学を教え、日本医学界の発展に尽くしたベルツが、1913年に亡くなった日です。明治新政府ができたとき、欧米の進んだ文化や学問や技術をとりいれて、いち早く欧米に追いつきたいと考えました。そのために、たくさんの外国人教師を招きましたが、そのなかでも特に立派な人格と優れた指導力で、日本人に大きな影響力を与えたばかりでなく……。

2007年ブログ 「プリマベーラ」(春) と 「ビーナスの誕生」 にまつわる驚き
昨日、イタリア・フィレンツェの「ウフィツ美術館」にある、ボッティチェリの名画「プリマベーラ」(春)を紹介しましたが、この絵について調べているうちに、実に興味深いことが判りました。そのいくつかを記してみることにします。(1) 「ウフィツ美術館」の名称の意味 この絵を所蔵している「ウフィツ美術館」という名称のことですが、このイタリア語の「ウフィツ」は、英語の「オフィス」(事務所)です……。

2006年ブログ 「ライト兄弟」 のこども時代
弟のオービルと、4歳うえのウィルバーは、1日じゅうでも、物を作ったり、こわしてみたりして遊ぶのがすきでした。台所を実験室にしてさわいでも、母は 「あとは、きちんと、かたずけるのよ」 と、やさしくいうだけで、なにもしかりませんでした。また、父も、ふたりの機械好きをよろこんで、家のだいじな大工道具を使うのを許してくれるほど、やさしい人でした。ある日、ふたりは、旅行から帰ってきた父から……。

2005年ブログ 幼児の「科学する心」について
「こども科学図書館」の編集にたずさわっていた1977年頃のこと。私の二人の男の子の上が5歳、下が3歳だった。初秋のある日、子どもたちと近所を散歩していると、都会ではめずらしく赤トンボが何十匹となく空を舞っている。子どもたちは、キャッキャといいながら追いかけまわしていたが、そのうち「お父さんつかまえて」というので、悪戦苦闘しながら1匹をつかまえてあげると、もう下の子は大喜び。おっかなびっくり羽根をつかみ、下からながめ、こんどはひっくりかえしながめまわしている……。
投稿日:2016年08月31日(水) 05:03

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)