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2016年版 10月6日はこんな日


● 今日(10月6日)の主なできごと

1927年 世界初のトーキー映画……この日、ワーナーブラザースによる世界初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』がニューヨークで封切られた。映画全編を通してのトーキーではなく、部分的なトーキー(パートトーキー)だったが、驚異的な興行収入を記録したことで、サイレント(無声)映画時代は終わりをつげ、トーキー時代の幕開きとなった。


● 今日の主な記念日・恒例日

国際協力の日……1954年のこの日、発展途上国への技術協力のための国際組織「コロンボ・プラン」に、日本が初めては加盟することになったのを記念し、外務省と国際協力事業団(JICA)が1987年に制定。

役所改革の日……1969年のこの日、千葉県松戸市役所に「すぐやる課」ができた。当時の松本清市長の発案で設置され、「すぐできることは、すぐにやる」をモットーに、役所の縦割り行政では対応できない仕事にはげんで、市民の好評を得た。役所のイメージを一新したことにちなむ記念日。なお、この時の市長は、ドラッグストア「マツモトキヨシ」の創業者。


● 今日生まれた人

1773年 ルイ・フィリップ……フランスのブルボン・オルレアン朝初代国王。「市民の王」
 
1846年 ウェスティングハウス……アメリカの発明家・技術者・実業家。鉄道車両用の空気ブレーキ発明。

1866年 孫文……中国の革命家・中華民国大総統。「三民主義」 を提唱。

1887年 ル・コルビュジエ……スイス出身フランスの建築家・都市設計家。上野の「西洋美術館」など建築物22選は、2016年に「世界遺産リスト」に登録された。

1914年 ヘイエルダール……ノルウェーの人類学者・海洋探検家。代表著作『コンチキ号漂流記』など。


● 今日亡くなった人

1715年 渋川春海……江戸時代前・中期の天文暦学者。貞享暦の作成。

1892年 テニスン……イギリスの詩人。代表作『イノック・アーデン』など。

1920年 黒岩涙香……明治・大正期の新聞記者・探偵小説家・翻訳家。

1954年 尾崎行雄……明治・大正・昭和期の政治家。「憲政の神様」


● 過去のマイブログ「10月6日」のテーマ

2015年ブログ 「万朝報」 の黒岩涙香
日本初の推理小説作家であり、明治から大正期の新聞記者・経営者として活躍、『巌窟王』『噫無情(ああむじょう)』などを翻案・紹介した黒岩涙香(くろいわ るいこう)が、1920年に亡くなった日です。1862年、今の高知県安芸市に土佐藩郷士の子として生まれた黒岩涙香(本名・周六)は、藩校文武館で漢籍を学び、1874年に地元の政治家板垣退助らによる自由民権運動に魅かれると、16歳で運動家を志して……。

2014年ブログ 「初の国産暦」 の渋川春海
江戸時代前期の天文暦学者で、日本初の暦「貞享(じょうきょう)暦」を作りあげた渋川春海(しぶかわ はるみ/しゅんかい)が、1715年に亡くなった日です。1639年、京都四条室町に生まれた渋川春海は、幼くして江戸幕府の囲碁棋士安井参哲の養子となり、幼いころから父の指導により、めきめき上達して囲碁妙手として知られるようになります。1652年父の死のあとをついで2代目安井参哲として囲碁棋士となり……。

2011年ブログ 「おもしろ古典落語」42回目 『元犬(もといぬ)』
浅草は蔵前あたりの八幡さまの境内に、まっ白な犬がいました。みんなでかわいがっていますから、食べ物にもこまりません。おとなしくて人間に吠えつくこともなく、「可愛い犬だね、こんど生まれかわるときは、人間に生まれ変わるよ、むかしから白い犬は人間に近いっていうからね…いいかい、シロ、人間になるんだよ」なんてことを、毎日まいにち頭をなでられていわれるものですから、犬もその気になって……。

2010年ブログ コンチキ号とハイエルダール
いかだ船「コンチキ号」をこしらえて、ポリネシア人のルーツを解明したことなどで知られるノルウェーの人類学者、海洋探検家のハイエルダールが、1914年に生まれた日です。トール・ハイエルダールは、ノルウェー南部ラルビーという港町に生まれました。子どもころから早くも動物学に興味を持ち、全長1mもの有毒ヘビを、自宅で飼うほど熱中しました……。

2008年ブログ 余韻を大切に
親と子が心を解け合わせていっしょの時間を過ごす「読み聞かせ」は、とても楽しいものです。ところが、親のちょっとした語りかけが、その楽しさを壊してしまうことを知っておかなくてはなりません。それは、読み聞かせが終わったあとの「どんなところがおもしろかった?」「どんなことを感じた?」という問いつめです。これだけならまだしも……。

2006年ブログ 「アンデルセン」 のこども時代
アンデルセンは、6歳で、貧しい家の子どもだけが通う学校へ入りました。でも、すぐ、やめてしまいました。そして、その後2回かわった学校も、やはり、長続きしませんでした。勉強がきらいだったのではありません。いろいろなことを、ひとりで空想するのが好きで、女の子に 「ぼくが大きくなったら、ぼくのお城の、乳しぼりにしてあげるよ」 などと言っては、みんなに笑われ、学校へ行くのが、いやになってしまったのです……。

2005年ブログ 「伝記」 は子どもたちになぜ必要なのか (2)
人間はだれでも、歴史のなかに生きている。逆にいえば、人間はすべて、歴史をつくりながら生きているのである。ところが、戦後の日本人の多くが、日本のおぞましい過去の歴史を否定するあまり、歴史とかかわりあって生きることを忘れすぎているのではないだろうか……。
投稿日:2016年10月06日(木) 05:59

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)