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2016年版 10月18日はこんな日


● 今日(10月18日)の主なできごと

1881年 日本初の政党……国会開設をを求めていた自由民権派は、板垣退助を党首に選び、日本初の全国組織による政党「自由党」が誕生した。


● 今日の主な記念日・恒例日

統計の日……国民に統計の重要性を知ってもらうため、1973年に閣議で制定した記念日。

冷凍食品の日……冷凍の「とう(10)」と、国際的に−18℃以下に保てば冷凍食品の品質を1年間維持できるとされていることから、日本冷凍食品協会が1986年に制定。

ミニスカートの日……1967年のこの日、イギリスから「ミニの女王」ツィギーが来日し、ミニスカートブームが起ったことにちなんで制定。

フラフープ記念日……1958年のこの日、フラフープが日本で初めて発売された。1本270円で、1ヵ月に約80万本という爆発的な売上げを記録する大ブームになった。


● 今日生まれた人

1019年 司馬光……中国北宋期の儒学者・歴史家・政治家。代表著作『資治通鑑』。

1850年 チェンバレン……イギリスの言語学者・日本研究家。明治期に38年間日本に滞在。代表作『日本事物誌』『英訳・古事記』など。

1870年 鈴木大拙……明治・大正・昭和期の仏教思想家。代表著作『大乗仏教概論』『禅論文集1-3』(英文)など。


● 今日亡くなった人

1602年 小早川秀秋……安土桃山時代の武将。丹波亀山城主。関ヶ原の戦いで東軍に寝返ることで、徳川家康率いる東軍の勝利に貢献。

1866年 シーボルト……ドイツの医師。江戸後期に長崎のオランダ商館医師として来日。鳴滝塾開塾。「シーボルト事件」で国外追放。

1893年 グノー……フランスの作曲家。代表作『ファウスト』『グノーのアヴェ・マリア』『操り人形の葬送行進曲』など。

1920年 楠瀬喜多……明治期の民権家・婦人運動家。

1931年 エジソン……アメリカの発明家・事業家。「発明王」


● 過去のマイブログ「10月18日」のテーマ

2013年ブログ 「民権ばあさん」 楠瀬喜多
明治時代の婦人運動家で、男女同権を主張し続けた楠瀬喜多(くすのせ きた)が、1920年に亡くなった日です。1836年、当時の土佐で運送業を営む家に生まれた西村喜多は、幼いころから漢学を学び、町人の出身でありながら、1857年に土佐藩の剣道指南役をつとめる楠瀬実と結婚、剣道や薙刀(なぎなた)などを修め、女丈夫(じょじょうふ=女傑)として知られるようになりました。ところが1874年に夫が亡くなり、子どもがなかったため、喜多が戸主として楠瀬家を相続しました……。

2012年ブログ 『資治通鑑』 の司馬光
中国・北宋期の儒学者・歴史家・政治家の司馬光(しば こう)が、1019年に生れた日です。『資治通鑑(しじつがん)』という、古代の戦国時代(BC403年)から五代末期(959年)まで1362年間の中国の歴史を294巻にまとめた通史を著した人物で、その主張は儒学に受け継がれ、水戸学などわが国にも大きな影響を与えました。現在の山西省に役人の子として生れた司馬光は、幼少のころから才能にめぐまれ……。

2011年ブログ オペラ『ファウスト』 のグノー
ゲーテの『ファウスト』を基にしたオペラを作曲したことで有名なフランスのグノーが、1893年に亡くなった日です。1818年シャルル・グノーは、有名な画家の父・ピアニストの母の間にパリで生まれました。5歳のときに父を失いましたが、母にピアノの手ほどきを受けて楽才を開花させ、音楽家となることを決意しました。1836年にパリ音楽院に入学してオペラ作曲家アレビらに師事して作曲法を学び……。

2010年ブログ 「発明王」 エジソン
映画、レコード、電信機、電話機、電球、蓄電池など、生涯におよそ1300もの発明をしたアメリカの発明家・事業家のエジソンが、1931年に亡くなった日です。トーマス・エジソンは、1847年アメリカのオハイオ州ミランに生まれました。父親は屋根板を作る工場を経営し、母親は小学校教師の経験のある教養人で、トーマスはふたりの7番目の子でした。並はずれて好奇心の旺盛な子どもだったトーマスは、「なぜ? どうして?」を連発、しかもいいかげんな答えでは納得しません……。

2007年ブログ モネ 「日傘の女」
日本人は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍した「印象派の画家たち」の描いた作品が大好きです。モネ、ピサロ、シスレー、ルノアールといった人たちで、初期の頃は、先輩のコローやクールベらの重厚な作品に感化をうけましたが、やがて、もっと若いマネを中心とした明るい絵に魅かれ、戸外に出て自然の光を強調した新しい絵を描きはじめました。これらの人たちの絵は、これまでのサロン(官立学校派)の絵とはまるで違っていたため……。

2006年ブログ 「塙保己一」 のこども時代
保己一は、5歳のころ、高い熱がつづく病気で目が見えなくなってしまいました。しかし、目が見えなくなっても、いつも明るくふるまいました。わが子を盲目にしてしまった両親の悲しみが、耳から聞くことばで、よくわかったからです。保己一は、両親の 「目は見えなくても、人に負けない人間にしてやらなければ」 という願いで、やがて、和尚さんが開いている寺小屋へ、かよいはじめました。目は見えないのですから、自分で本を読むことも、字を書くこともできません……。

2005年ブログ 椋鳩十さんの「せかい伝記図書館」への推薦文
有吉忠行氏の講演記録Bより ━━ 日本のシートンとしてたたえられている動物文学の作家椋鳩十さんは、「せかい伝記図書館」 に対し、直筆で賛辞を寄せてくれました。椋鳩十さんの書かれた「片耳の大シカ」「大造じいさんとガン」「月の輪ぐま」など多くの作品は、小学校の国語教科書に採用されています。椋さんはかつて 「母と子の二十分間読書運動」 というものを提唱されたことでも有名です……。
投稿日:2016年10月18日(火) 05:21

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)