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2016年版 10月17日はこんな日


● 今日(10月17日)の主なできごと

1887年 横浜に日本初の水道……江戸時代末に開港したものの人口の急増のために水不足となり、コレラが流行したこともあって近代的な上水道が急がれ、この日横浜で使用されるようになった。これにちなみ、10月17日は「上水道の日」とされている。


● 今日の主な記念日・恒例日

貧困撲滅のための国際デー……1999年12月の国連総会で宣言され、制定された国際デーの一つ。

貯蓄の日……日本銀行貯蓄増強中央委員会(今の金融広報中央委員会)が1952年の同委員会発足の際に制定し、翌1953年から実施。


● 今日生まれた人

1760年 サン=シモン……フランスの哲学者・社会思想家。ユートピア(空想的)社会主義を主張。

1890年 アイゼンハワー……アメリカの軍人・政治家。第34代米大統領。

1898年 鈴木鎮一……大正・昭和期のバイオリン奏者・才能教育家。「スズキメソード」創始。

1908年 宮本顕治……昭和・平成期の政治家・評論家。共産党名誉議長。

1915年 アーサー・ミラー……アメリカの劇作家。代表作『セールスマンの死』『橋からのながめ』など。


● 今日亡くなった人

1803年 前野良沢……江戸時代中・後期の蘭学者・医学者。『解体新書』の主幹翻訳者。

1849年 ショパン……ポーランド出身フランスで活躍した作曲家。「ピアノの詩人」

1952年 岡田啓介……明治・大正・昭和期の海軍軍人。第31代首相。

1967年 溥儀(宣統帝)……清朝最後の皇帝・満洲国皇帝。「ラストエンペラー」


● 過去のマイブログ「10月17日」のテーマ

2014年ブログ 「平和主義者」 岡田啓介
海軍の長老としてロンドン海軍軍縮会議の調印につなげ、「二・二六事件」で襲撃された当時の首相をつとめ、太平洋戦争終結の道筋をこしらえた岡田啓介(おかだ けいすけ)が、1952年に亡くなった日です。1868年、福井藩士の長男として生まれた岡田啓介は、1884年に旧制福井中学を卒業後に上京し、陸軍軍人をめざしましたが、親類の海軍士官に勧められて海軍兵学校に入りました。日清戦争では、東郷平八郎の艦長の浪速に搭乗、豊島沖海戦に参加……。

2013年ブログ  [おもしろ民話集 102] ビンのなかのお化け─その2
昔あるところに、貧しい木こりがいました。木こりは、朝早くから夜遅くまで働いて、いくらかお金がたまると、息子に「このお金をつかって、勉強しておいで。なにかをちゃんと学んで、わしが年をとっても、しっかりと暮らしができるようにしておくれ」といいました。そこで息子は、町の学校に入りました。いっしょうけんめい勉強したため、先生にほめられるほどでした。ところが、いくつかの教科を修めないうちに、木こりの貯めたお金がなくなってしまったため、家に帰るよりほかありませんでした……。

2012年ブログ 『セールスマンの死』 のミラー
テネシー・ウィリアムズと並び「アメリカ現代演劇の旗手」といわれた劇作家アーサー・ミラーが、1915年に生れた日です。ミラーは、オーストリアのユダヤ系商人の家にニューヨークで生まれました。ミシガン大学に入学しましたが、大恐慌によって父親の支援がなくなり、2年ほど資金をかせぐために自動車生産工場で働かざるをえませんでした。再挑戦して同大学で演劇を学びながら、戯曲を書きはじめました。卒業後はラジオドラマの脚本を書いたりするうち……。

2011年ブログ 「第2次世界大戦」 とアイゼンハワー
アメリカ合衆国の軍人で、第2次世界大戦中にヨーロッパの連合軍最高司令官として活躍し終結させた功績者と讃えられ、第34代大統領をつとめたアイゼンハワーが、1890年に生まれた日です。テキサス州デニソンに貧しい鉄道労働者の子として生まれたドワイト・デービッド・アイゼンハワーは、戦争ぎらいの両親の希望に反して、1915年に陸軍士官学校を卒業。戦車隊に配属された後、まもなく戦車隊の教官……。

2008年ブログ 自分が読めるようになっても続ける
読み聞かせは、子どもが小学校の中学年になっても高学年になっても続けてよいものか、いつまでも読み聞かせをしていると、自分で読むことをしなくなるのでは? こんな疑問を持つ人がよくおられます。たしかに「読み聞かせ」は、まだ文字が読めない幼児期を対象に、本を通じて子どもの心を豊かにし、幼いうちに読書への興味を育てるというのが主なねらいです。でも、子どもが自分で本を読めるようになったら、もうおかしいというものではありません……。

2007年ブログ ピアノの詩人・ショパン
ピアノの形式、メロディ、和声法など、これまでにない表現方法を切り開いた作曲家ショパンが、1849年に亡くなった日です。ピアノの詩人とたたえられるフレデリック・ショパンは、ポーランドの首都ワルシャワの近くで1810年に生まれました。父も母も、音楽を愛する人でした。ショパンは、4歳のころからピアノをたたきはじめました。7歳で作曲の才能を示し、8歳でピアノ演奏会を開き、天才少年とよばれるようになった中学生時代には……。

2006年ブログ 「毛沢東」 のこども時代
農家に生まれた毛沢東は、6歳のころから、泥にまみれてはたらきはじめましたが、親の権力をふりまわす父親から、よく、なぐりつけられました。ところが権力に反対する毛沢東は、けっしてだまってばかりいないで、池のふちまで追いかけてきた父を、「近よるととびこんで死んでしまうぞ」 とおどかして、なぐらないことを約束させたようなこともありました。人のいいなりにならない、つよい心をもっていたのです……。

2005年ブログ テレビの問題点
有吉忠行氏の講演記録第2回目より ━━ たとえば、テレビと比較してみるだけでも、考える読書がいかに大切かよくわかります。もちろん、テレビがすべて悪いというのではありません。テレビにはテレビの価値があります。しかし、人間の思考という立場から考えると、問題が少なくありません。第1に、テレビは、まず映像がとびこんできます。それに音もとびこんできます。つまり、人間は、本来、自分の頭で自分の心にイメージをつくりあげることが大切なのに、テレビは、その必要をなくしてしまっています……。
投稿日:2016年10月17日(月) 05:06

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)