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2016年版 10月26日はこんな日


● 今日(10月26日)の主なできごと

1963年 日本初の原子力発電……茨城県東海村の日本原子力研究所が日本で初めて原子力発電を行なった。これを記念して政府は、1964年から10月26日を「原子力の日」と制定。

1909年 伊藤博文がハルピンで暗殺……この日、初代総理大臣をつとめた伊藤博文が、満州(中国東北部)のハルピン駅付近で、朝鮮の抗日運動家安重根に射殺された。伊藤が韓国統監府の初代統監として、韓国の植民地化をすすめてきたためで、安は翌年旅順の監獄で処刑された。


● 今日の主な記念日・恒例日

柿の日……1895年のこの日、俳人・正岡子規が「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の句を詠んだことから、全国果樹研究連合会が2005年に制定。


● 今日生まれた人

1800年 モルトケ(大モルトケ)……ドイツの軍人。ドイツ統一に貢献。「近代ドイツ陸軍の父」

1879年 トロツキー……ロシアの革命家。ロシア革命を成功に導くものの、スターリンと対立して国外追放。

1902年 シャウプ……アメリカの財政学者。「シャウプ勧告」で戦後の日本税制を指導。
 
1908年 松田道雄……昭和・平成期の育児評論家・小児科医。代表作『育児の百科』『私は二歳』『君たちの天分を生かそう』など。

1913年 織田作之助……昭和期の小説家。代表作『夫婦善哉』『土曜夫人』など。


● 今日亡くなった人

1890年 コロッディ……イタリアの児童文学作家。代表作『ピノキオの冒険』。

1908年 榎本武揚……幕末から明治期の幕臣・政治家。箱館戦争で敗北するも、逓信・文部・外務・農商務大臣など歴任。

1909年 伊藤博文……明治期の政治家。初代首相の後、第5・7・10代首相。明治憲法の制定に貢献。
 
1918年 リッツ……スイス・フランスの実業家。「ホテル王」 

1927年 八木重吉……大正期の詩人。代表作 詩集『秋の瞳』『貧しき信徒』など。

1979年 朴正煕……韓国の軍人。第5〜9代大統領。「日韓基本条約」締結。

1981年 伴淳三郎……昭和期の喜劇俳優。

2014年 赤瀬川原平(尾辻克彦)……昭和・平成期のイラストレーター・小説家・随筆家。代表作『父が消えた』『新解さんの謎』など。


● 過去のマイブログ「10月26日」のテーマ

2015年ブログ 「日韓基本条約」 を締結した朴正煕
軍事クーデターに成功し、韓国大統領を5期18年にわたって独裁政治を行った朴正煕(パク・チョンヒ/ぼく・せいき)が、1979年に亡くなった日です。1917年、日韓併合後の慶尚北道(朝鮮半島東南部)の貧しい農家に生まれた朴正煕(日本名・高木正雄)は、1937年に大邱(たいきゅう)師範学校を卒業後、1940年まで小学校の教師を務めていましたが、軍人を志して満州国の士官学校へ入隊しました。成績優秀だったため……。

2012年ブログ 「おもしろ古典落語」91回目 『つぼ算(ざん)』
「源さん、いるかい?」「おお、甚兵衛さんか、上がんなよ」「上がっちゃいられねぇんだ。実は家の水がめが割れちゃってさ、新しいのを買うことにしたんだ。これまでは一荷入りの水がめだったんだが、小さすぎるんで、この際二荷入りにしようということになった。『じゃ、俺が買いに行くぞ』っていったら、かかぁのやつが『源さんは買い物上手って評判だから、いっしょにいってもらえ』って……。

2011年ブログ 「蝦夷共和国」 と榎本武揚
「戊辰(ぼしん)戦争」という明治新政府と旧幕府軍との戦いの最後の拠点・函館の五稜郭にたてこもって敗れたことで名高い榎本武揚(えのもと たけあき/ぶよう)が、1908年に亡くなった日です。1836年、旗本の子として江戸に生まれた榎本武揚は、幼いころから幕府の昌平坂学問所で儒学・漢学を学び、1856年には幕府が新設した長崎海軍伝習所に入って、軍艦の操縦をはじめ……。

2010年ブログ 『ピノキオ』 のコロッディ
世界的に知られる児童文学『ピノキオの冒険』を著したイタリアの作家コロッディが、1890年に亡くなった日です。カルロ・コロッディは、1826年イタリアのフィレンツェに生まれました。本名は、カルロ・ロレンツィーニで、コロッディは、子ども時代を過ごした土地の名前からとったペンネームです。地元の小中学校に通い、ピノキオのように、わんぱくな少年時代をすごしたことが、『ピノキオ』を生み出す……。

2007年ブログ ゴッホ 「アルルの寝室」
名画を描いた画家の多くは、若くして画才を認められ、その才能を着実に開花させました。しかし、ゴッホは、そんな 「生まれながらの画家」 とは、およそかけ離れた存在でした。ゴッホは、16歳の頃に画商となって、数年間は絵に関する仕事に従事しました。しかし解雇され、その後は書店に勤めたのち、語学教師、牧師や伝道師を志すも挫折、こうして彼はありきたりの仕事にはみんな失敗しました……。

2006年ブログ 「宮沢賢治」 のこども時代
賢治が小学生のときのこと。ある日、いたずらをした生徒が、水をいっぱい入れた茶わんを手にもたされて、廊下に立たされていました。すると、ちょうど、そこを通りかかった賢治は、その生徒の前に行くと、茶わんの水を、すっかり飲んでやりました。こんなことをすれば、こんどは自分がしかられるとわかっていても、立たされている生徒が、かわいそうでならなかったからです……。
投稿日:2016年10月26日(水) 05:03

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)