« 2015年03月26日 | 児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top2015年03月30日 »

最新記事【2015年03月27日】

今日3月27日は、液体酸素が磁性を持つことの発見、水素の液化と固化などの研究、魔法瓶やコルダイト無煙火薬を発明したイギリスの化学・物理学者のデュワーが、1923年に亡くなった日です。

1842年、スコットランド東部キンカーディンに宿屋の6人兄弟の末っ子として生まれたジェイムズ・デュワーは、1859年にエディンバラ大学でプレイフェアのもとで化学を学び、卒業後も助手として残りました。1867年にベンゼンの構造式の候補をいくつか掲げた論文を発表したところ、ベルギーのケクレの目に留まり、デュワーはその夏ヘントにあった研究室に招かれ、ピリジンやキノリンの構造式も提案しています。

帰国後、エディンバラ大学にもどって1873年まで助手として働くかたわら、1869年からは王立獣医学校の講師も兼任しながら同学校で、デュワーが生涯をささげた低温物理学の研究を開始しました。1875年、ケンブリッジ大学の実験物理学教授に、1877年にはロンドン王立研究所の化学教授に就任すると、両方の教授を亡くなるまで務め、1904年にはナイトの称号を受けています。

ケンブリッジ大学では、ライビングと共同で25年以上にわたり、さまざまな金属のスペクトル研究を行い、スペクトル線やスペクトルバンドと分子の関係を調べあげました。王立研究所では、低温物理学の研究、とくに気体の液化とその低温物性の研究を行いました。1877年にフランスのカイユテとスイスのピクテがそれぞれ窒素と酸素の液化に成功していましたが、デュワーは翌年に、別の方法で液化に成功して公開実演するとともに、1885年までには大量の液体酸素を製造し、1891年には、液体の酸素やオゾンが磁性を持つことを発見しています。さらに、1895年には微量ながら水素を液化することに成功すると、1898年液体水素を大量に製造してその屈折率を調べ、翌年−259℃という低温で水素の凝固にも成功しました。

いっぽう、デュワーは1892年、研究のかたわら魔法瓶(デュワー瓶)を発明しています。これは二重壁の内壁と外壁の間を真空にして伝導と対流を防ぐものでした。魔法瓶は、1904年に2人のドイツのガラス職人が商品化に成功すると、1905年に、デュワーはココナッツの殻の炭を−185℃に冷やしたところ、それが真空度を上げる吸着剤として利用できることを発見し、さらに内部を銀メッキして放射を防ぐことを考案しました。これは極低温液体を長く保管できるため、自身の研究にも大きく貢献することになりました。また、1891年には、エーベルと共同で、史上初のひも状の無煙火薬「コルダイト火薬」も発明しています。


「3月27日にあった主なできごと」

1689年 芭蕉「おくの細道」へ出発…松尾芭蕉は弟子の河井曽良(そら)を伴ない、この日江戸・深川の庵を出て「おくの細道」の旅に出発しました。東北・北陸をめぐる旅の日数はおよそ150日間、『奥の細道』は、わが国紀行文学の代表的存在です。

1845年 レントゲン誕生…ドイツの物理学者で陰極線の研究中、物質を通りぬける放射線エックス線を発見したレントゲンが生まれました。

1933年 「国際連盟」脱退…国際連盟は2月24日の総会で、日本軍による満州建国を否認しました。日本はこの日、正式に国際連盟を脱退、国際社会の中で孤立し、戦争への道を歩みはじめました。
投稿日:2015年03月27日(金) 05:03

2015年03月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)