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ベネチア派の巨匠ティツィアーノ

今日8月27日は、『ウルビーノのビーナス』『聖母被昇天』など、イタリア・ルネサンス最盛期にベネチア派を代表する画家として活躍したティツィアーノが、1576年に亡くなった日です。

1490年ころ、ベネチア共和国近郊にある名家の長男に生まれたティツィアーノは、10歳から12歳くらいのときに、画家の内弟子になるためにベネチアの叔父のもとへと送られました。ジョバンニ・ベリーニ工房で年齢の近い芸術家たちと競い合って修行ののち、10代後半には10歳年上のジョルジョーネの助手を務めるようになりました。

1510年にジョルジョーネが夭折すると、わずか20歳をこえたばかりの若さで、以後半世紀以上にわたって、ベネチア美術界の頂点に立ちました。初期のころはジョルジョーネ風の作品を描くものの、大胆で表現力豊かな独自の作風を確立すると、スペイン国王フェリペ2世や神聖ローマ帝国皇帝カール5世ら内外の有力者をパトロンにつけ、ローマ教皇をはじめ聖職者や高官の大量の肖像画の注文をさばいていきました。カール5世にいたっては、ティツィアーノ以外の画家には肖像画を描かせなかったといわれています。

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とくに1516年から1530年にかけての時期は、『性愛と俗愛』『聖母被昇天』(上の絵)『バッカスとアリアドネ』など、より大規模で複雑な構成の名作を次々に描いたことで、「熟成の時代」といわれています。さらにローマを訪れ、古代彫刻や絵画にヒントをえて、横たわるビーナスをモチーフとした連作『ウルビーノのビーナス』(下の絵)『ダナエ』『ビーナスとオルガン奏者』などの傑作を残しています。

Tizian.jpg

90歳近くまで生きたティツィアーノは、同時代を生きたミケランジェロとともに、当時としては異例の長寿でした。しかし、ミケランジェロが苦悩と葛藤に満ちた生涯だったのに対し、若いうちから名声と、莫大な収入をえていたことでは、はるかに幸せな人生だったようです。肖像、風景、古代神話、宗教画、裸婦などあらゆる絵画分野に優れ、華麗な色彩感覚や筆使いは革新的なもので、イタリアルネサンスの芸術家ばかりでなく、次世代以降の西洋絵画にも大きな影響を与えています。ミケランジェロらと並び、まさにルネサンスを代表する巨匠の名にふさわしい生涯でした。


「8月27日にあった主なできごと」

紀元前551年 孔子誕生…古代中国の思想家で、「仁」を重んじる政治を唱えたくさんの弟子を育てた孔子が生まれました。

663年 白村江の戦い…当時朝鮮半島では、新羅(しらぎ)が唐(中国)の力を借りて、百済(くだら)と高句麗(こうくり)を滅ぼして半島を統一しようとしていました。百済から援軍を求められた斉明天皇は、日本水軍を援軍に送りましたが7月に病没、かわって中大兄皇子が全軍の指揮にあたりましたが、この日、白村江(はくすきのえ)で、新羅・唐軍を迎え撃って奮闘するものの、翌日に敗れてしまいました。

1714年 貝原益軒死去…江戸時代の初期、独学で儒学、国文学、医学、博物学を学び、わが国はじめての博物誌 「大和本草」 などを著わした貝原益軒が亡くなりました。

1910年 マザー・テレサ誕生…インドのスラム街で献身的な働きをし、「スラムの聖女」と慕われたことでノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサが生れました。

1957年 日本初の原子の火…茨城県東海村にある原子力研究所の原子炉で、初めて「原子の火」が灯りました。この原子炉は、ウランなどが原子核反応によって得たエネルギーを、発電用に利用するために建設されたものです。

投稿日:2012年08月27日(月) 05:34

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)