今日7月20日は、無線電信の発達に大きな功績をのこした、イタリアの電気技術者マルコーニが、1937年に亡くなった日です。
グリエルモ・マルコーニは、1874年イタリアの古都ボローニャに生まれました。父親はたいへん裕福な銀行家で、マルコーニは少年時代から、父の別荘にある図書室で科学の本に親しみながら成長しました。また、有名な科学者たちを家庭教師にして電気について学び、17、8歳のころには、電気科学者を夢見るようになっていました。
20歳のときのことです。ある雑誌を読んだことから、マルコーニの進む道が決まりました。ドイツの物理学者ヘルツの死を伝える記事といっしょにでていた、電波を作りだしたヘルツの実験の説明が、マルコーニの心をとらえたのです。
「電波を利用して、通信ができるようにならないだろうか」
この思いつきに夢中になったマルコーニは、別荘の3階を実験室にして、実験をくり返しました。でも、失敗の連続でした。
実験を始めて1年ごの1895年、ひとつの成功にこぎつけました。それは、3階の実験室で発振器に火花をおこすと、地下室にとりつけたベルが鳴るという、かんたんなものでしたが、マルコーニには、天にものぼるほどのよろこびでした。
夢をふくらませたマルコーニは、装置を改良してすこしずつ距離をのばしていきました。そして、やがて、別荘から2キロメートル離れた丘まで電波を送ることに成功して、無線電信の実用化への第一歩をふみだしました。
1896年、マルコーニは、イギリスへ渡りました。無線電信の価値を信じようとしないイタリア政府が、研究費の援助をききとどけてくれなかったからです。
イギリス政府の力ぞえで、郵便局の中に無線電信局をもつことができたマルコーニは、つぎつぎに送信距離をのばしていきました。1897年には無線会社をつくって、いよいよ実用化にとりくみ、2年ごにはイギリスからフランスまでの海峡横断通信に、そして1901年には、ついに、イギリスからカナダまでの大西洋横断通信にも成功しました。
「電波はどこまででもとどく」 「地球の表面が丸くてもとどく」
世界の人びとが、電波のすばらしさとふしぎさに目を見はったとき、マルコーニは、まだ27歳でした。
こうして長距離無線通信の時代をきりひらいたマルコーニは、ノーベル物理学賞など、かずかずの賞を受け、63歳で亡くなりました。無線通信ひとすじの生涯でした。
父の別荘の小さな実験室でめばえたマルコーニの夢は、いまも電波にのって、世界の空をかけめぐっています。
なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)16巻「アムンゼン・チャーチル・シュバイツァー」の後半に収録されている7名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。