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2017年版 6月12日はこんな日


● 今日(6月12日)の主なできごと

645年 大化の改新の始まり… 中大兄皇子(のちの天智天皇)や中臣鎌足(のちの藤原鎌足)らが、当時の最高権力者だった蘇我入鹿を殺害した。このクーデターから650年ころまでの内政改革は、大化の改新とよばれている。

1942年 アンネの日記……ナチスのユダヤ人迫害により、ドイツのフランクフルトからのがれ、オランダのアムステルダムの隠れ家で暮していたアンネ・フランクは、両親からこの日の誕生日に日記帳をプレゼントされた。密告されて一家は捕えられ、アンネは1945年15歳でユダヤ人収容所で病死するが、1944年8月までのおよそ2年間綴られた日記は、戦争の恐ろしさやつらい生活の中でもけなげに成長してゆく内容に、今も世界じゅうの人たちを感動させている。

1965年 「家永教科書裁判」始まる……高等学校日本史教科書『新日本史』(三省堂)の執筆者である東京教育大教授の家永三郎は、「教科用図書検定(教科書検定)は、憲法違反である」としてこの日、国に損害賠償請求した(1次訴訟)。その後、第2次・3次訴訟をおこし、1997年最高裁判所判決により国の勝訴で終結したが、初提訴から終結まで32年間かかった。一連の裁判は、「最も長い民事訴訟」としてギネス世界記録に認定された。


● 今日の主な記念日・恒例日

恋人の日……ブラジルのサンパウロ地方では、縁結びの聖人アントニウスが亡くなった前日の6月12日を「恋人の日」として、恋人同士が写真立てに写真を入れ交換しあう風習があることから、全国額縁組合連合会が1988年から実施。

日記の日……1942年のこの日、ユダヤ人の少女アンネ・フランクによって「アンネの日記」が書き始められた。これにちなんだ記念日。

その他の記念日……バザー記念日・エスペラントの日・児童労働反対世界デーなどがある。


● 今日生まれた人

1827年 シュピリ……スイスの児童文学者。代表作『アルプスの少女ハイジ』。

1878年 下中弥三郎……大正・昭和期の出版人。「平凡社」創業。労働運動指導者。

1929年 アンネ・フランク……ユダヤ系オランダ人少女。『アンネの日記』著者。

1936年 江副浩正……昭和・平成期の実業家。「リクルート」創業。「リクルート事件」贈賄側人物として知られる。


● 今日亡くなった人

645年 蘇我入鹿……飛鳥時代の大臣。蘇我蝦夷の子。中大兄皇子らにより暗殺。

1597年 小早川隆景……戦国時代から安土桃山期の武将。秀吉の五大老の一人。

1893年 清水次郎長……幕末から明治期の侠客。浪曲・講談・映画などで「海道一の大親分」として著名。

1978年 郭沫若……中国の政治家・文学者・歴史家。


● 過去のマイブログ「6月12日」のテーマ

2015年  「毛利宗家」を守った 小早川隆景
兄の吉川元春とともに毛利家の発展に尽くし、秀吉の五大老の一人に任じられた小早川隆景(こばやかわ たかかげ)が、1597年に亡くなった日です。1533年、毛利元就の三男として生まれた隆景(幼名・徳寿丸)は、1544年に竹原小早川家を継いで当主となると、1550年には沼田小早川家を継いで、二家に分かれていた小早川家を統一しました。次兄の吉川元春とともに、毛利両川といわれ……。

2014年 「中国近代文学の先駆者」 郭沫若
中華民国・新中国の政治家であり、文学者・歴史家として活躍した郭沫若(かく まつじゃく)が、1978年に亡くなった日です。1892年、四川省の楽山県に生まれた郭沫若は、成都の中学を卒業後の1914年に日本へ留学、第一高校予科、岡山の第六高校を経て、九州帝国大学医学部を卒業しました。しかし、耳の病のために医者の道をあきらめ、高校時代から親しんできた文学活動を志し……。

2013年 『ハイジ』 のシュピリ
『アルプスの少女ハイジ』を著したスイスの女流児童文学者シュピリが、1827年に生まれた日です。スイスのチューリッヒに近い、ヒルツェル村の田園地帯にある医者の子に生まれたヨハンナ・シュピリは、ハイジと同じようにおおらかでやんちゃな少女でした。学校の勉強はあまり好きではありませんでしたが成績はよく、美しいアルプスの自然の中で、生き生きと育ちました……。

2012年 「大化の改新」 と蘇我入鹿
大和朝廷の大臣で蘇我氏の長だった蘇我入鹿(そがの いるか)が、645年に中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)らに討たれて亡くなった日です。蘇我氏は、大和地方の豪族で、広大な土地を所有していました。入鹿の時代には、国の政治を自分たちの思うままに動かすほどになっていました。入鹿の父の蝦夷(えみし)も、祖父の馬子(うまこ)も、それぞれ大臣という最高の位について……。

2008年 「ひがわりママ」 にならないで
その日、その日の気分次第で、子どもへの対応の仕方が変わる母親 「ひがわりママ」 をよく見かけます。母親自身にうれしいことや、うきうきすることがあった日は、いつもは 「いけません」 というのに、今日だけはいわない。反対に、自分自身が何かイライラしている時には、いつも子どもがうたっている歌でも、急に 「そんな変な歌、うたっちゃいけません」 といったり……。
投稿日:2017年06月12日(月) 05:19

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)