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2017年版 3月14日はこんな日


● 今日(3月14日)の主なできごと

1701年 浅野内匠頭(たくみのかみ)が吉良義央に刃傷(にんじょう)……江戸城松の廊下で、赤穂藩主の浅野長矩(内匠頭)が高家(こうけ=儀式や典礼を司る役職)の吉良義央を刀で斬りつけて負傷させた。長矩は即日切腹、お家断絶になったのに対し、吉良は無罪となった。これが発端となって、のちに赤穂浪士が吉良邸を襲う事件に発展、歌舞伎「忠臣蔵」で有名になった。

1868年 五箇条の御誓文……明治天皇が「五箇条の御誓文」を公布した。明治新政府の基本方針となるもので、「広く会議を興し、万機公論に決すべし」「上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし」など5項目の条文からなる。

1965年 「イリオモテヤマネコ」生息確認……作家の戸川幸夫らが沖縄の西表島から持ち帰ったヤマネコの頭骨と毛皮を、日本哺乳動物学会が調べた結果、新種のヤマネコであることをこの日に確認。1967年、イリオモテヤマネコ(西表山猫)と命名された。このヤマネコは1千万年前に栄えた原始的なヤマネコの特徴を備えているため「生きた化石」とよばれているが、生存数が少なく、1977年に国の天然記念物に指定された。

1970年 「大阪万博」開催……アジア初となる日本万国博覧会(大阪万博)が開幕。「人類の進歩と調和」をテーマに77か国が参加し、117のパビリオンが設置された。9月13日まで183日間の会期中に6422万人が訪れ、史上最多の入場者数を記録。


● 今日の主な記念日・恒例日

ホワイトデー……2月14日のバレンタインデーにチョコレートを贈られた男性が、返礼のプレゼントをする日。バレンタインデーのチョコレートに対しキャンデーやマシュマロをお返しする風潮が1970年代から生まれてきた。


● 今日生まれた人

1497年 毛利元就……戦国時代の武将。中国地方ほぼ全域と四国の一部を支配、毛利家の最盛期。

1804年 ヨハン・シュトラウス1世……オーストリアの作曲家。代表作『ラデツキ―行進曲』など。

1809年 島津斉彬……幕末の薩摩藩主。藩の富国強兵に成功した幕末の名君の一人。

1879年 アインシュタイン……ドイツ生まれアメリカで活躍した理論物理学者。「一般相対性理論」を完成させる。20世紀最大の物理学者。


● 今日亡くなった人

1701年 浅野長矩……江戸時代前・中期の大名。赤穂藩主。

1789年 三浦梅園……江戸時代中期の思想家・経済学者。代表作 独自の学問体系を築いた『玄語』など。

1883年 マルクス……ドイツの経済学者・哲学者。代表作『資本論』など。労働運動の理論的指導者。

1932年 イーストマン……アメリカの発明家。イーストマン・コダック社創業。

1948年 千家元麿……大正・昭和期の詩人。


● 過去のマイブログ「3月14日」のテーマ

2014年   写真を普及させたイーストマン
ロールフィルムを発明し、イーストマン・コダック社を創業して写真の大衆化をはかったアメリカの実業家イーストマンが、1932年に亡くなった日です。1854年、ニューヨーク州ウォータービルにある農場経営者の子として生まれたジョージ・イーストマンは、ロチェスターの公立学校で学んだ後、銀行の帳簿係をつとめながら、趣味の写真撮影を楽しんでいました……。

2013年   人間愛をうたった千家元麿
人道主義・理想主義をかかげる「白樺派」を代表する詩人の千家元麿(せんげ もとまろ)が、1948年に亡くなった日です。1888年、東京・麹町に生まれた千家元麿の父は出雲大社の宮司で、後に東京府知事を経て西園寺内閣の司法大臣となった男爵千家尊福(たかとみ)でした。しかし、元麿の母は、正妻でない画家の小川梅崖でした……。

2012年  『資本論』 のマルクス
「科学的社会主義」を提唱し、労働運動の理論的指導者として世界に大きな影響力を与えたドイツ出身の経済学者マルクスが、1883年に亡くなった日です。1818年、プロイセン王国ライン州モーゼル河畔のトリーアに、ユダヤ系弁護士の長男に生まれたカール・マルクスは、1835年にボン大学に入学して法律をまなびましたが、まもなく哲学や歴史に熱中してベルリン大学に移り、ヘーゲル左派の影響を受けました……。

2008年  マネ「フォリー・ベルジェールのバー」
この絵を描いたマネは、モネやルノアールらとともに、印象派を代表する画家といわれます。でも、マネは彼らと同時代に新しい絵画を創造していましたが、印象派展には一度も出品したことはなく、印象派の画家たちに行くべき道を示した先駆者といってよいかもしれません……。

2007年  引っこみ思案な子にしない
集団にとけこめない子がいます。引っこみ思案の子がいます。親からみると、困ったなと思いながらも、かわいそうでなりません。仲間からひとり離れているわが子を見ると、飛んでいって抱きしめてやりたいほど、かわいそうになってしまいます……。

2006年  心ゆさぶる真実の世界
「日本読書クラブカタログ(本の価値と楽しみ)」の第6章「児童文学」の項を紹介してみよう。「ごんぎつね」(新美南吉)、「おこりじぞう」(山口勇子)、「たかのすとり」(千葉省三)、「雪わたり」(宮沢賢治)、「月の輪ぐま」(椋鳩十)、「ベロ出しチョンマ」(斉藤隆介)、「もぐら原っぱのなかまたち」(古田足日)、「ヒロシマのうた」(今西祐行)……。
投稿日:2017年03月14日(火) 05:37

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)