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2017年版 3月11日はこんな日


● 今日(3月11日)の主なできごと

1633年 継飛脚制度確立……「継飛脚」とは、江戸幕府の公的な文書や荷物を運ぶ制度で、東海道の宿場に公儀の飛脚のための費用「継飛脚給米」を支給してこの継飛脚制度が確立した。2人一組になり、「御用」の札をつけ、宿場から宿場へリレーしながらつないでいき、江戸〜大坂間を4、5日で結んだ。その後、大名飛脚や民間の飛脚も現れて、いっそうスピードアップしていく。

1879年 「琉球王国」消滅……1872年に明治政府は、琉球国王を強制的に廃止して琉球藩とした(第1次琉球処分)。さらにこの日、藩王に琉球藩を沖縄県とすることを伝え、「首里城」を出て東京居住を命じた(第2次琉球処分)。これにより、473年続いた琉球王国は消滅し、同年4月4日沖縄県が正式に設置された。

2011年  東日本大震災……午後2時46分、宮城県牡鹿半島沖130km付近で地震が発生。その規模は、日本観測史上最大のマグニチュード9.0で、最大震度7を記録した。地震発生から30分後には、東北・関東に巨大津波が到達し、岩手・宮城・福島県を中心に死者・行方不明者約2万名もが犠牲となった。この津波による漁業、農業等の被害は甚大で、とくに漁業は壊滅的被害を受けた。さらに、東京電力福島第1原子力発電所(福島第1原発)には14mを超える津波が直撃し、3時42分には、13台あった非常用発電機が1台を残しただけですべて止まり、6基の原発のうち1〜5号機の電気がまったく使えなくなって原子炉の温度が上がり続け、水素爆発や炉心溶融(メルトダウン)を引き起こした。大量の放射線物質が放出されたため、半径20km圏内の住民は避難することになった。震災直後の避難者は推計47万人だったが、2017年1月末現在、いまだに12万人以上が避難を続けている。


● 今日の主な記念日・恒例日

パンダ発見の日……1869年、中国・四川省の民家でこの日、伝道中のフランス人神父アルマン・ダビドが、白と黒の奇妙な熊の毛皮を見せられた。その後ダビドは、パンダのレプリカ標本をパリの自然歴史博物館に送ったことで、西洋にパンダが知られるようになった。


● 今日生まれた人

1444年 ボッティチェリ……イタリア・ルネッサンス期の画家。代表作『ビーナスの誕生』『春』など。

1800年 徳川斉昭……江戸時代後期の水戸藩主。徳川慶喜の父。

1834年 橋本左内……江戸時代後期の福井藩士。井伊直弼と対立し「安政の大獄」で処刑。

1903年 深田久弥……昭和期の登山紀行家。代表作『日本百名山』など。


● 今日亡くなった人

618年 煬帝……中国隋の2代皇帝。倭国は、煬帝在位中に遣隋使を計4回派遣。

1514年 ブラマンテ……イタリア・ルネサンス期の建築家。

1582年 武田勝頼……戦国時代の武将。武田信玄の子。自害により武田家滅亡。

1908年 アミーチス……イタリアの児童文学者。代表作『クオレ』(「母をたずねて三千里」など収録)など。

1936年 夢野久作……大正・昭和期の小説家。代表作『ドグラ・マグラ』『犬神博士』など。

1955年 フレミング…………イギリスの細菌学者。ペニシリンを発見。

1957年 バード……アメリカの探検家。世界で初めて北極と南極の上空を飛行。


● 過去のマイブログ「3月11日」のテーマ

2015年  「ルネサンス期最大の建築家」 ブラマンテ
古代ローマ建築を再構成した古典様式を創出し、イタリア盛期ルネサンスを代表する建築家として高く評価されるブラマンテが、1514年に亡くなった日です。1444年ころ、イタリア中東部ウルビーノ近くに生まれたドナート・ブラマンテ(本名・ダンジェロ)は、はじめは画家を志し、やがてウルビーノ公に仕える建築家のラウラナから建築学を学んだといわれています。1472年にミラノに移って、装飾画家、建築家として活躍するようになり……。

2014年  『クオレ(愛の学校)』 のアミーチス
「母をたずねて三千里」や「難破船」などが収録されていることで知られる名作『クオレ』を著したアミーチスが、1908年に亡くなった日です。1846年、イタリア北西部の町オネーリアに生まれたエドモンド・デ・アミーチスは、当時イタリアが7つの小国に分かれていて、統一運動の嵐のなかで少年時代を送りました……。

2013年   悲運の武将・武田勝頼
甲斐(山梨)武田家第20代当主として、信玄の領国拡大方針を継承するものの「長篠の戦い」に敗れたことがきっかけとなって、武田家を滅亡させた武田勝頼(たけだ かつより)が、1582年に亡くなった日です。武田信玄と同盟関係にある諏訪頼重の娘の子(信玄の4男)として、1546年に甲斐国に生まれた勝頼は、成長すると諏訪家を継ぎ、高遠(現・伊那市)城主となりました……。

2010年   ボッティチェリの2大名画
イタリア・ルネッサンス期の画家で『ビーナスの誕生』や『春』を描いたボッティチェリが、1444年に生まれたとされる日です。サンドロ・ボッティチェリの本名は、アレッサンドロ・ディ・マリアーノ・ディ・バンニ・フィリペーピ。名前のアレッサンドロは省略されていつのまにかサンドロになりました……。
 
2009年   武田勝頼の自刃
400年にもわたり甲斐の国(山梨県)を支配してきた武田氏が、1582年に滅びた日です。室町幕府の将軍のあとつぎをめぐる争いは、多くの守護大名をまきこみ応仁の乱(1467-77年)となりました。日本の歴史区分では、この応仁の乱から、1573年に15代室町将軍足利義昭が織田信長によって追放され、室町幕府が事実上消滅するまでの約100年間を、「戦国時代」とよびます。その戦国時代に、戦国一の戦術家といわれた甲斐の武将・武田信玄は、訓練された武田騎馬隊を誇り、多くの大名たちを恐れさせるほど強力なものでした……。

2008年  [おもしろ民話集 37]  おりこうジョン
昔あるところに、ジョンという、頭のちょっと弱い男の子がいました。ある日ジョンの母親が、町まででかける用事ができたため、ジョンにいいました。「町まで行ってくるから、どろぼうに入られないように、しっかり表の戸を見張っているんだよ」 「わかった、しっかり見張っているよ」……。
投稿日:2017年03月11日(土) 05:57

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)