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最新記事【2018年07月13日】


● 今日(7月13日)の主なできごと

1886年 日本標準時の定め……この日に勅令が出され、東経135度の時刻を日本標準時と定め、1888年から実施すると発表。イギリスのグリニッチ天文台を経度0度、兵庫県明石市を通る線を東経135度とし、そこを日本の標準時としたもの。

1930年 サッカー初のW杯で国交断絶……サッカーのワールドカップの第1回大会がこの日にはじまり、13か国の選手がウルグアイの首都モンテビデオで熱戦をくりひろげた。勝ち進んだのはウルグアイとアルゼンチンで、ウルグアイが4対2で逆転優勝。ところが、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで暴動がおき、ウルグアイの領事館が襲われて国交断絶にまで発展した。


● 今日の主な記念日・恒例日

盆迎え火……7月13日から16日まで、祖先の霊をまつる日本の伝統行事が「お盆」。盆の初日の夕方、亡くなった人の霊を迎えるために、門口で「迎え火」を焚いて家の場所を知らせる。月遅れの8月13日や旧暦7月13日に行う地方もある。

生命尊重の日……1948年のこの日、「優生保護法」(今の「母体保護法」)が公布されたことにちなみ、医師・法律家・教育者・主婦らで構成される「生命尊重の日」実行委員会が1984年に制定、各地で講演会などを実施。

もつ焼の日……「な(7)い(1)ぞう(3)」(内臓)の語呂合せから、日本畜産副産物協会が2011年に制定。


● 今日生まれた人

BC100年 シーザー……古代ローマ帝国の基礎を築いた軍人政治家。「ガリア戦記」を著す。

1847年 森有礼……明治期の外交官・政治家。初代文部大臣。

1882年 青木繁……明治期の洋画家。代表作『海の幸』『日本武尊』など。


● 今日亡くなった人

1128年 藤原清衡……平安時代後期の豪族。奥州藤原氏の祖。「北方の王者」

1624年 福島正則……安土桃山・江戸時代前期の武将。

1793年 マラー……フランスの革命指導者。

1951年 シェーンベルク……オーストリアで活躍後アメリカ国籍となった作曲家・指揮者・教育者。 十二音技法を創始。


● 過去のマイブログ「7月13日」のテーマ

2015年 「賤ヶ岳・七本槍の筆頭」 福島正則
安土・桃山・江戸時代初期の大名として秀吉、家康に仕えた福島正則(ふくしま まさのり)が、1624年に亡くなった日です。1561年、桶屋を営んでいたとされる福島正信の長男として今の愛知県あま市で生まれた福島正則(幼名・市松)は、母が豊臣秀吉の叔母(大政所の妹)だったため、幼少のころから小姓として秀吉に仕え、1578年に播磨三木城の攻撃で敵兵を討ち取って初陣を飾りました……。

2012年  北方の王者・藤原清衡
平安時代後期の武将で奥州藤原氏をおこし、平泉に「金色堂」を建てた藤原清衡(ふじわらの きよひら)が、1128年に亡くなった日です。陸奥国の豪族藤原経清と、安倍頼時の娘の間の子として生まれた清衡は、「前九年の役」(1051〜1062年)で清原氏が東北の覇者となったものの父はこの戦で殺され、母は清原武貞と再婚、清衡は二人の養子となりました。やがて、清原家の複雑な兄弟関係のもつれで一族のあいだに激しい対立がおこり……。

2011年  近代教育制度と森有礼
一橋大学の創設や、近代的な学校体系を創り上げた森有礼(もり ありのり)が、1847年に生まれた日です。鹿児島城下の薩摩藩士の家に生まれた森は、藩校の造士館で学びました。当時薩摩藩は、生麦事件でイギリス人を殺傷したことから、薩英戦争に発展、イギリスに賠償金を払って終結しました。西洋から多くを学ばなくてならないとさとった藩は、外国を追い出そうという攘夷から倒幕に方向転換する一方、15名の若者をイギリスに留学させることにしました。その一人に選ばれたのが、19歳の森有礼でした……。

2010年  マラーの死
「フランス革命」の指導者で、革命勃発後ジャコバン派の幹部として革命を指導し「恐怖政治」を推進したマラーが、1793年に暗殺された日です。世界史上有名な「フランス革命」は、1789年7月14日のバスティーユ襲撃をきっかけに、全国で農民たちが蜂起して騒乱はフランス全土に広がっていきました。やがて「国民議会」 は、封建的特権の廃止を宣言して、基本的人権、国民主権などをもりこんだ人権宣言を採択しました……。

2009年  お盆 [うらぼんえ]
今日から16日までの4日間は、「お盆」といわれる行事です。お盆は、正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といいます。これは仏教の経文にあるウルランバナの略語です。[苦しみから救う] という意味があるそうで、こんな伝説が残されています。「むかし、お釈迦様の弟子の中で、神通力がすぐれている目連尊者(もくれんそんじゃ)という坊さんいました。ある日、その神通力を使って、亡くなった母親のようすを見てみることにしました。すると、極楽浄土へ行って、安楽にすごしていると思っていたと母親は、何と地獄の餓鬼道(がきどう)に落ちて、逆さ吊りにされ苦しんでいるではありませんか……。

2007年 「山梨県立美術館」にあるミレーの代表作
大正時代に、武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎ら白樺派の作家たちが積極的に紹介したことから、日本に広く知れわたったフランスの画家ミレー(1814-1875)。農民の絵を多く描いたこともあって、日本人の大好きな画家のひとりだといってよいでしょう。ミレーの代表作といえば「晩鐘」や「落穂ひろい」ですが、これらはフランス・パリの「オルセー美術館」にあります。そして、もう一つの代表作「種まく人」は、甲府市の山梨県立美術館にあります。1978年に美術館が開館した際、その目玉として2億円で購入され、当時は税金の無駄遣いと非難されましたが……。
投稿日:2018年07月13日(金) 05:07

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)