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2018年版 3月4日はこんな日


● 今日(3月4日)の主なできごと

1053年 平等院鳳凰堂完成……藤原頼通は、父藤原道長からゆずり受けていた宇治の別荘を「平等院」とし、極楽浄土といわれる鳳凰堂(阿弥陀堂)を完成させた。

1771年 『解体新書』のきっかけ……オランダ語訳版の医学書『ターヘル・アナトミア』を手に入れ、人体への関心を深めていた蘭学医の杉田玄白は、この日、江戸の小塚原で処刑された死刑囚の解剖を見学し、同書にある図がきわめて正確であることを確認。翌日から前野良沢、中川淳庵とともに同書の翻訳にとりかかり、4年後に『解体新書』を出版した。

1788年 寛政の改革……江戸幕府11代将軍家斉は、白河藩主として評判の高かった松平定信を老中首座・将軍補佐とし、定信は「寛政の改革」を実施して幕政の改革をはじめた。8代将軍吉宗の「享保の改革」をめざしたものだったが、あまりに堅苦しいものだったため、成功にはいたらなかった。「白河の清きに魚の住みかねて元の濁りの田沼恋しき」と田沼意次時代を懐かしむ狂歌に詠まれるほどだった。


● 今日の主な記念日・恒例日

ミシンの日……「ミ(3)シ(4)ン」の語呂合せから、ミシン発明200年(イギリスのトーマス・セイントが世界初ミシンの特許取得)を記念し、日本家庭用ミシン工業会が1990年に制定。「ミシン」は和製語で、ソーイングマシンがなまったもの。


● 今日生まれた人

1394年 エンリケ(航海王子)……ポルトガルの王族。未知の領域だったアフリカ西岸を踏破させるなど、大航海時代初期の重要人物。

1678年 ビバルディ……イタリアの作曲家。代表作 バイオリン協奏曲『四季』など。

1697年 賀茂真淵……江戸時代中期の国学者。本居宣長へ大きな影響。

1878年 有島武郎……大正期の小説家・評論家。代表作『一房の葡萄』『カインの末裔』『生まれ出づる悩み』『或る女』など。

1880年 松岡洋右……大正・昭和期の外交官・政治家。国際連盟脱退時の日本代表。

1904年 ガモフ……ロシア生まれでアメリカの理論物理学者・科学啓蒙家。ビッグバン宇宙論提唱。

1923年 永井道雄……昭和・平成期の教育社会学者。三木内閣の民間人文部大臣。


● 今日亡くなった人

1832年 シャンポリオン……フランスの考古学者。エジプト学を創始。

1858年 ペリー……アメリカ海軍軍人。日米和親条約を締結。

1953年 プロコフィエフ……ロシアの作曲家。代表作 『交響曲1〜7番』『ピーターとおおかみ』など。

1987年 北村西望……明治・大正・昭和期の彫刻家。代表作『長崎平和祈念像』『光にうたれる悪魔』『笑う少女』など。

1993年 樫尾忠雄……昭和期の実業家。

2002年 半村良……昭和・平成期の小説家。代表作『雨やどり』『戦国自衛隊』など。


● 過去のマイブログ「3月4日」のテーマ

2015年  「計算機」 の樫尾忠雄
国内電子機器業界を代表する「カシオ計算機」の基礎を築いた樫尾忠雄が、1993年に亡くなった日です。1917年、高知県の貧しい農家の長男に生まれた樫尾忠雄は、5歳のころ、東京で働いていた叔父に誘われて一家で上京しました。忠雄は高等小学校を卒業したのち、家計を助けるために見習いの旋盤工として働き始めます。その腕の良さはなかなかなもので……。

2014年  『平和祈念像』 の北村西望
長崎平和公園にある『平和祈念像』をはじめ、『光にうたれる悪魔』『笑う少女』などの作品で知られる彫刻家の北村西望(きたむら せいぼう)が、1987年に亡くなった日です。1884年、いまの長崎県南島原市に生まれた北村西望は、尋常小学校を卒業後に臨時教師となりました。1901年正教員をめざして長崎師範学校で学びますが、風土病にかかって長期療養中に彫刻家を志すようになり……。

2013年  『不思議の国のトムキンス』 のガモフ
原子物理学理論をわかりやすく解説した啓蒙書を多く著わしたことで知られる、ロシア出身アメリカの理論物理学者のガモフが、1904年に生まれた日です。帝政ロシア時代に黒海北西部の都市オデッサに生まれたジョージ・ガモフは、1928年にレニングラード大学を卒業後、イギリスのケンブリッジ大学へ移籍し、ラザフォードについて原子物理学を研究しました……。

2011年  『ピーターとおおかみ』 のプロコフィエフ
「20世紀のベートーベン」と高く評価されているロシアの作曲家プロコフィエフが、1953年に亡くなった日です。セルゲイ・プロコフィエフは、1891年、帝政期のロシア(現在のウクライナ)に、農学者の子として生まれました。母が優れたピアニストだったため、幼い頃から母にピアノを学び、5歳のころには即興曲を音符に記すことができるほどでした……。

2010年   杉田玄白ら死体解剖を見学
江戸の刑場だった小塚原(現・東京荒川区)で行なわれた死体解剖を、蘭学医の杉田玄白、前野良沢、中川淳庵が、1771年に見学したとされる日です。江戸幕府の8代将軍徳川吉宗は、鎖国時代にもかかわらず蘭学書の輸入を解禁しました。その輸入された書籍の中に……。

2008年  白樺派の作家・有島武郎
大正時代の白樺派作家の中では、唯ひとり社会性の高い作品を数多く残した有島武郎(ありしま たけお) が、1878年に生まれた日です。絵のぐをぬすんだ生徒と、その生徒をやさしくいましめる先生との、あたたかい心のふれあいをえがいた『一房の葡萄』。この物語の作者、有島武郎は、大蔵省につとめる身分の高い役人の長男として、東京で生まれました……。
投稿日:2018年03月04日(日) 05:05

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)